フーコー講義集成11 マジョリティとマイノリティ パレーシア

お風呂で考えていたら繋がりました。


歴史上にも、今この世界にも、多数の人が言っているから従え、多数の人が言っているから、その方向に向かっていくべきだと考える人がいる。


しかし、ナチスホロコーストも、アパルトヘイトも、ハンセン病の隔離政策も、多数の人への追従によって合法的に行われたという事実を忘れてはならないと思う。





フーコーがなぜパレーシアを晩年に研究していたのか。

パレーシアの反対には「追従」と「弁論術(レトリック)」があると言う。
しかし、パレーシアの真の敵は「追従」だとフーコーは歴史的にテキストから説明していた。


パレーシアを研究テーマとして扱っていた
理由の一つに、この歴史的事実が関連しているのではないかと思いました。


あと若き日のフーコーの思いと晩年のフーコーの研究が僕の中で繋がりました。



「世界戦争の翌日に20歳をむかえること、……ナチズムをゆるしてしまった社会を徹底的に変えること」フーコーフーコー・ガイドブック』
そんなフーコーが晩年に取り組んだのは個人行動(主体)の問題。フーコーが取り組んだ三つの大きな問題の一つ。この個人行動(主体)の問題は、他の二つの問題との関係からしか分からないという。

飛躍し過ぎなのですが、
パレーシアはたぶんファシリテーションにもおそらく繋がっていそう。
率直な語り合い。それができる場作りとファシリテーター。どうなんだろう。



あと二日分の講義、11巻読了まで。