デューイ

デューイもヘルバルト主義の教育者であることが分かる。
それは同時にカント主義者でもある。

牧口常 三 郎 と ジ ョ ン ・デ ュ ー イ

http://libir.soka.ac.jp/dspace/bitstream/10911/840/1/SK000002-10.pdf
http://libir.soka.ac.jp/dspace/bitstream/10911/796/1/KJ00005454509.pdf


「新しい事物が意識界に入って認識されるのはどういう場合であるか。それは、その新しい事物が、私
たちのすでに持 っている様々な経験と、秩序ある方法によって結びっけられたときである。他のもの と 調和せず、互いに結びっくことのない知識は、全く意味をもっていない。そういう単独のものは知識の
目的ではな いのだ」(3)

これってデューイの言葉だったんだ。
デューイが28歳の時に出した『心理学』という論考から。

牧口が自分の論文に孫引きしたもの。


この論文は1896年 のものですが、実はデューイも代表作 『民主主義と教育』Democracyand
Educatlon(1916)の なかで、ヘルバルト主義教授学、とりわけその類化論を評価しながら、教育
においては子供たちの興味を喚起することが大事なのである、と述べています。デューイはヘル バルトの理論一般に対しては、それが静的staticな ものであり、動的dynamicな 知識獲得の面を見
落としていると批判していますが、類化論のことはおおむね高く評価しています。デューイがこ の よ う に 類 化 論 を 『民 主 主 義 と 教 育 』 の な か で 重 要 視 し 、 活 か し て い た こ と を 我 々 は 見 落 と し て
はならないと思います。また、牧口も後には 『創価教育学体系』(1.930-34年)の なかで類化論を ふたたび主題化することになります。それゆえ、デューイも牧口もともに教育学者としての出発 点がヘルバル ト主義教授学であり、それがデューイにおいては 『民主主義と教育』、牧口において は 『創 価 教 育 学 体 系 』 と 、 そ れ ぞ れ の 代 表 作 の な か で 結 実 し た 、 と い う こ と を 我 々 は 確 認 で き る のです。