仏教

Tさん

むちゃくちゃ基本的なことなんだけど、
最初期仏典には、もちろん、人生として、「生老病死」というものが出てきて、私たちは、それが避けられないのに、それを見ないようにするとかいう表現があります。
それは、仏教の根本です。
具体的な1人の人間の、一回きりの人生です。
一つ一つ(死までも)、抱きしめながら生きていく、具体的な人生です。
でも、その最初期仏典に対応する時代の経典の漢訳仏典に出てくる、「生死」という表現は、違います。
明確に、「生死」は、具体性を失い、抽象的な「輪廻」と関係づけられて、人の人生というより、永遠の昔から、生死を繰り返すみたいに使われます。
バラモン的な考え方とよくにています。
いつの間にか、かけがえのない、人生、そして、死というものが、抽象的な「輪廻」となってしまう。
でも、実は、最初期仏典「スッタニ・パータ」には、「生死」という言葉は、ないんですよ。
全部、「生老病死」、さらには、「生老」(jati-jara)なんです。一回きりの、具体的な人生なんです。

「生死」「輪廻」は人が作った抽象的な概念で、直観して分かるのは、一回きりの「生老病死」があるのみ。その区別が大事だと思います。命を大事にすること。