カント、ヘルバルト、牧口常三郎、デューイ、デュケルム、ショーペンハウアーは少なくともおさえたほうがいいと思った、真面目な話。基礎・基本を学ばないとそれより先に思考を進めるのは難しいと思います。人生には限りがあるので、ますこれまでの人類の経験を継承することが大切だと僕は思います。
牧口の論じていることが素晴らしいのは必然だと思う。
当時の東大の論理学の高名な先生に師事し(論理学的思考を獲得。この論理学とカントの批判哲学をひっさげて、カントやデュルケルムなどを怖じずに批判・吟味し、自らの思考を展開。それは主観的な独論ではないです。人類の遺産とも言える思想・哲学を批判・吟味し、継承発展させたものです)、当時最もデュルケルムについて認識していた人物(デュルケルムの主要な著書をすべて翻訳していた)との交流(そのおかげで、当時牧口は日本だけではなく世界的にもデュルケルムについて最もよく認識していた人の一人だったと考えられる)、運良く北海道の学生時代に学んだペスタロッチ主義やヘルバルト主義の教育学の良質な本(カント理論についても間接的に正確に理解)、新カント派など、牧口への影響を考えると、創価教育学という知識体系が必然の産物であることが分かる。その論じている内容は昨今の教育論を含めても、世界で最も深い教育論の一つだと思う。この約100年前に論じられていることをよりも前に進んでいるのだろうか。むしろ、後退しているようにも思う。もちろん認知科学の基礎研究なども含めて、理論も技術も前進している。でも本質的な論では後退しているかもしれない。右往左往。