本屋でちらっと認知科学の本を読んでみると、「認識科学」ではなくて「認知科学」という言葉にしたかという話があって、その背景には哲学への嫌悪があるのではないかと書いてあった。
たしかにソクラテス的な問答法と科学的な方法とかなり違うので、実証的ではない方法に対して嫌悪の気持ちがあるのかも。
ただどちらの土台にも言葉を手放さないというか、普遍的な思考というか論理があると思う。それに科学とは何かとか、、言語とは何かとか、根本的な問いを探究するのが哲学なので、扱う問いが違う。