無藤隆

幼児教育の実践モデルとしてレッジョ・エミリアとテファリキは他の幼児教育に対して卓越している。

 なぜか。レッジョ・エミリアとテファリキは、保育の振り返りと見通しを立てる仕組みをその本質としているからである。(テファリキはラーニング・ストーリーの導入によって。)他の世界中の保育は(私の知る限り)、そういった仕組みを実際には入れていても、その理念のモデルの中核として明確化し、実践としての特定の形を取っていない。
 残念ながら、日本もそうであった。優れた実践は日本にもヨーロッパ各地にもアメリカにもオセアニアにもたくさんある。様々な理念と実践の方針がそこには見られる。だが、その振り返りと見透しを理念的実践的に保育者と子どもが協働する形で行い、しかもそのモデルの核としているものはないのである。

 それともあるかな。
 たいてい、上記の二つの影響で明示化しているのだと思う。以前からやっていたとは思うが(東京の公立幼稚園など確かにそうだ)、そこを核としていなかったと思う。それが変わったのはこの15年から20年くらいか。それでもなお、その理念と実践のモデルに組み入れるのに十分に成功しているとは思えない。
 モデルをその上位から見直す仕組みへとつながるかどうか、なのである。むろん、レッジョ・エミリアもテファリキもその先に行けるかどうか文献を見ている限り、まだよく分からないが。

「振り返りと見通しを立てる仕組み」
これ大事だ。小学校でも重要なテーマだと思う。