「学習によって子どもは社会的になるのではない。
 学習するためには,子どもは社会的でなければならないのである。」
(J・M・ミード)『探求の共同体』
ミードの言う社会的って何なんだろう。
おそらく原著を吟味しないと分からない。


もしかしたら、ミードは社会学をあまり知らないのかも(仮説)。たこつぼだから。翻訳者の問題か。
みんな(すべての人が)、たいして知らない(その中で博学な方もいますけど)。僕も当然、知らない。無知の知。知らないって、とっても当たり前のことで、少しずつ修正すればいいだけ(それで仕事の分野について、少しずつ詳しくなっていくのは自然なこと)。



見た世界とか、体験にどっぷりというのも危ないと思う。カントにやはり戻ります。
「直観なき概念は不毛であり、概念なき直観は盲目である」イマヌエル・カント




『探求の共同体』家にあるけどちゃんと読んでない。J・M・ミードって誰なんだろう。文化人類学者のマーガレッドミードじゃないのか。どこのミードでも、プロになるっていうことは必然的にたこつぼですからね。


学者ってスポーツ選手みたいだと思う。
普通の人よりは専門分野+αについてよく知っている。
ものすごく訓練されているから、確かに普通の人よりも信じられないくらいよく知っている。
僕が中学生の時にロベルトバッジオをプレイを見たみたいに、信じられないくらいのパフォーマンス。
でも本当に知っている人ほど、無知の知を自覚されていると思う。ソクラテスと同じ。






僕は人は社会的なものだと思うから、このミードの発言はほとんど意味ないと思う。
なぜこの人の発言を、とても尊敬する方が繰り返し取り上げるのだろう?そのことも気になります。



何によって社会化が促されるかということかな。