読書によって語彙が増えるであろうことは学術的に証明されている。
本を読んでいる人は語法にふれる機会が多いから。
でも読書の意義はそれに留まらない。
いろいろな人が言っているけれど、人生が大きく転換していくような読書が無数にある。


聖書なんかを読む経験は、そうなんだと思う。あれでいい意味にも悪い意味にも人が変わっていった。仏教の歴史を考えても誤解の連続で、その読書で起きていることは複雑だ。


日本で、仏教はもともとの意味と逆に捉えられ、その思想が差別の温床になってしまった歴史がある。今も、その誤解は根強い。この前、森絵都の『カラフル』というヤングアダルトの作品を読んだ時に、その解説がまさに仏教を誤読、誤解しているものだった。輪廻転生説が仏教だという典型的な誤解。インドに仏教以前からある輪廻転生説を批判し換骨奪胎したものが仏教です。それなのに、仏教以前にある思想、考えが仏教だと考えられている。



なぜこういう誤解が起きてくるかというと原典を直観するという努力を欠いて、俗説をそのまま信じてしまうから。でも自分はたまたま仏教と少し長く付き合って、その分、少しだけ細かいところが読めただけ。


何でも直接見たり、自分が実験したり、原典を読めたりできるわけではない。みんな、必然的に誤解しながら生きるのだと思う。目の前の人に対しても。だから、そのことに自覚的であることが、まず大事だと僕は思います。自覚的になれると生き方が少し違うような気がする。