- 作者: 池田大作,遠藤孝紀,斉藤克司,須田晴夫
- 出版社/メーカー: 聖教新聞社
- 発売日: 1998/12
- メディア: 単行本
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池田先生は全体から部分に戻らないと分からない(まあ、どのテキストもマジで向き合うなら、全体から部分へ、部分から全体へという往復作業を欠かすことはできない)。
とても表現は簡単だけど、とても奥深いです。
普及版がそこまでめちゃくちゃに端折られている感じは今のところないかな。
でももっと細かく比べ読みすると、違うと思う。
まずどこか端折られているのか、今のところ、僕には分からない笑…。
でも、
世法の中で、
あらゆる幻のような下らないことに抵抗にするのが仏法ではないんだろうか(抵抗というと、ちっと違うか。そういうものに煩わされない。確実に言えるのは超越した視点をもつということ)。
通底するのは「菩薩」の命。菩薩界即仏界だから。
池田先生との間に余計なものを挟まないほうがいい(これは日蓮でも同じ。余計なことを挟まないで歴史的に理解することがまず欠かせないと思う、その上でまた違った展開もあるかもしれない。)。
十界互具論も一つの理論体系。
イーガンの言うアイロニー的理解って大事。
その上で理論体系は欺瞞だけど、とても意味があることです。
その自覚に上で理論体系(言語)を利用します。
欺瞞といっても、すべてが欺瞞ではない。
理論にはいくらかの真実が含まれているように思います。
フッサールも、ちゃんと読んだことないけれど、そういうアイロニー的理解の延長にいる人だと思う(解説書しかまともに読んだことないです)。
欺瞞の中に真実が含まれているのだからアイロニー(皮肉)です。
イーガンの凄さに気付いた。
僕がマジで向き合ってきた別な領域のことに対応できるところ、凄いと思う。僕は基本的にちょっと孤独でしたけど、そういうの教育で改善されるんだと思う。なぜならアイロニー的理解に至る人が増えるから。