よい実践に優る理論はないと少し思ったけれど(例えば料理だったら、いくら料理の理論や言葉を尽くしても実際の料理が美味しくなかったら意味ないという)、よい実践と理論はそれぞれ違う働きがあるだけか…。実践と理論を比べて優劣を判断しようとすること自体がナンセンスなのかもしれない。


かもじゃなくなくてナンセンスか。

理論は知るだけではなくて、知識構成するもの。そういう意味で、理論を自分のものにするのはある意味難しい。
それを使って形にする、実践に活かすのは、別の問題で、これまたとても難しい。形にするには、またとても時間がかかる。


それぞれ大切で、とにかく地に足つけて進むしかないってことだあ…。


実践について良き鏡が大切だと思う。
僕にはこの人だ!という鏡のような存在が何人かいます。
その人は甲斐崎博史先生であったり、岩瀬直樹先生であったり、ナンシーアトウェルであったりするわけです。でもまだまだいます。この教育の世界には、いろいろなタイプの先生がいます。そのままトレースしても同じようにはいかない(なぜならすぐに真似できるようなことばかりではないから。その人の人柄とその人の様様な細かな手だて、相手にしている子どもたちなど、教育の成果は関数的で、複雑な要素と要素の関係の結果になっているから。それぞれの人をとりまく環境も違う。)。それぞれの実践とその背後にある考え方を理解するようにつとめて、自分の考え方や実践を、自分や自分の場に合うように創っていく必要がある。