Tさん

浅草に宮本卯之助商店という太鼓屋さんがあります。
浅草、太鼓、ということから、多くの方がお分かりのように、差別されたことも数々あったかと思います。
もちろん、能楽の鼓など、世界に誇る日本芸術の一翼を担うその仕事への誇りを持たれています。
先代なのか、先々代なのか、詳しくはしらないのですが、1937年(昭和12年)に、日中戦争が始まったとき、
日本社会は、「日清戦争で勝った中国など、すぐに征服できる」という世論で1杯だったわけですが、
その、先代か、先々代の宮本卯之助さんが、
自分ところの太鼓を置いておく蔵を、
コンクリートで目張りを始めたんです。
みんなが、なぜ、そんなことをするかを聴いたら、
「中国は大きい、日清戦争みたいな局地戦ではなく、全面戦争になったら、泥沼になる。そうすると、アメリカ、イギリスが向うにつく。日本は負け戦となる。
東京は、攻められて火の海になるだろう。
戦争はやがて終わる。日本はまける。
そして、日本は、焼け野が原から出直すことなる、そのとき、私に出来ることは、太鼓を作ること。太鼓の音で、少しでも、みんなを元気にすることしか、太鼓職人の自分にはできない」
それで、お金のつづくかぎり、太鼓の胴を買い集め(皮は自分ところで張るので)、戦争が終わって、二年間で、数万の太鼓を日本中に提供したのです。
この宮本さんを評して、同じ名前の宮本常一は、「偉いのは、東條英機ではないのです。われわれ民衆の中にそれがあるのです。それがありながら、自ら功を誇らないから分からない」と、「民衆文化と岩谷観音」のなかで、述べています。

僕にできることをマジで考えます。
もう決まってる。