「永遠」という嘘を信じていたいって。下山は信仰的だと思った。
でも「永遠」って、嘘とも真理とも言えない。だから信仰になる。
この世界か無限か有限か、それは本当のところは、わからない。だから信仰になる。
こういう問いは突き詰めていくと二律背反になることをカントは論証していた。


くるりの岸田さんが絶賛してた歌にも、もう一度生まれたら同じことを選ぶってあるけれど、同じような気持ちになれるのが不思議。



もう一度生まれるって発想はキリスト教の方にもあるし、古代インドの宗教にもある。

特に輪廻転成は差別を制度化するためにインドでも日本でも使われた経緯があるから、警戒は必要だけど、輪廻転成を信じる自由。不幸な生まれな人は悪いことをしてきたっていう業論の輪廻転成の対抗思想が原始仏教です。ブッダが打ち出した論理は、する論理です。生まれではなく、行いによってバラモンになるのだという有名な説話、エピソード。今正しいことをしている人が正しいのだ、そういうする論理、因果具時の思想がブッダ日蓮の思想です。