教育を考えるときにカント哲学が役に立つ。


概念や認識のことを考えると、
教育は知育の一元論でいいのかもしれない。




知育の中に国語も社会科も算数も理科も体育も図工も道徳などもある。



そもそも言語(概念)なしに教育はありえない(というか、言語なしに認識が存在しない。感性は受動的なものだ。能動的なのは知性です。この部分にしか自由は存在しないのだから、教育の役割があるとしたら知育にあるということになる。)。それなら、知育の一育論でいいのではないかな。


なんでこんなことを問題にするかというと、
理性と真実に反する教育が人を愚かにして不幸にするからです。



日本の教育の三育論は、スペンサーを誤読したことから生まれたものです。
真実ではない。多分、何重にも嘘です。