経済を原理せよ(経験から出発し価値を目標としつつ)

より高い効果の方法や工夫を目指しつつも、
効果に対して、子どもたちと教師などの時間コストやエネルギーコストを少なくしていくべき。


これが授業研究や教育研究の本質なのに(マッハや牧口が指摘する科学の本質です)、真剣に意識している人は少ないように思う。


だから効果があると考えれば、あまりコストを考えず、どんどんやってしまう。

研究授業案にも研究の後の考察でも、コストに関する話がほとんどない。


効率を人に当てはめて人を手段としてだけ扱うのは悪いことだけど、生命以外の方法や科学的法則の発見に対して効率を考えていくのは躊躇すべきでないと思う(少なくとも人に対して手段としてだけではなく目的として関わること)。