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日蓮の闘っていたもの】その1
正法、像法千年とかいう中国で作られた区分は、念仏宗天台宗がもっぱら使かっていたもので、日蓮大聖人は、その言葉を使いつつも「末法正為」とか、「単に2000年たったから末法ではなく、偽物が跋扈するから末法だ」という方向に、議論を持っていってますよね。

日蓮の闘っていたもの】その2
つまり、大聖人としては、「五・五百歳」論というのは、とても使いにくい枠組みであって、偽物が跋扈するなかで、自分はどうすべきかという方向へ、論点をなんとか移動させよう、させようとされています。

そこの大聖人の「もがき」。

日蓮の闘っていたもの】その3
「正像末」とか「宿命論(業報因果論)」「主師親の三徳」とかいう、本来の仏教ではないにも関わらず、当時は、それこそが仏教だと思われていたものの壁へ、穴をうがつ命がけの努力をされていたわけです。

日蓮の闘っていたもの】その4
その命がけの大聖人の努力を、背景(つまり、「正像末」とか「業報因果論」「主師親」みたいな、仏法ならざるものが仏法として横行していた)を考慮せず、「御書にあるから、大聖人の主張だ」と、安直に考えていた怠慢というのが、われわれにあると思いますね。