クレー

反対概念のない概念は考えられない。反対概念があるから概念ははっきりする。反対概念のない概念は効果がない。
概念はそれ自身として存在しない。多くは一対の概念があるだけだ。例えば「下」を想定しない「上」というものがあるだろうか?また「右」がなければ、なにを一体「左」と呼ぶのだろうか?「前」のない「後」とはなんだろうか?それ故、すべて概念は、反対概念を想定している。
対立するものの位置は固定したものではなく、両者の間は流動する運動だといってよい。固定しているのは、ただ一個の点、中心点だけであり、種々の概念は、そのなかにまどろんでいる。(パウル・クレー『造形思考』)


過程こそ本質であり、作品のいつかは完結すべき、または完結した性格を規定する。つまり、形成はフォルムを規定する。このため、形成はフォルムより上位におかれる。
このようにフォルムは、いついかなる場合も解決とか結果とか終結とかとみてはならない。あくまでもそれは発生であり、生成であり、本質なのである。しかし、現象としてのフォルムはまさに悪しき、危険な妖怪である。
運動としてのフォルム、行為としてのフォルムは善である。活動的なフォルムは善である。静止や終結としてのフォルムは悪である。受け身の完了したフォルムは悪である。フォルムは終結であり、死である。形成は運動であり、行為である。形成は生である。(パウル・クレー『造形思考』)