千葉雅也がゲームに生活が覆われることに反対で、ゲーム批判が必要だと呟くことがあった。それとトルストイが繋がった。トルストイは、過去はもうなく、未来はまだないから、現在に集中するべきだということを主張した。言い換えるとゲームというフィクションではなく、ノンフィクションに集中するべきだとも言える。

カントが批判の時代だと言ったけど、まだ批判の時代は続いている。カントが宗教批判をしたように、確かにゲーム批判も必要なのかもしれない。自分の中に規範があることで、宗教にもゲームにも健全に関われるのかもしれない。