前にライブハウスで口や鼻や目を触らなければ、手から直接、病気に感染することは100%ないというようなポスターがあった。感染症は、新型コロナだけではないのだから、この時に身につけた意識は、ずっと続けるといい。
昨日、Twitterで、哲学をすると「私」や「世界」について何もわからないことがわかるという哲学者を見かけた。
哲学や科学は、「私」や「世界」についてわからないことがたくさんあることを教えてくれるが、私たちは、直観(直接観察)して考え続けることで、わかること、区別がつくこともある。少なくとも、推論ができるし、その推論のいくつかは妥当で信頼できるものだろう。例えば、火を「私」が触ると熱いと感じるだろう。
僕は、その哲学者のような立場があり得ることには、賛成ですが、その考えには間違っていると考えます。
牧口とかカントを読んだ時に、明るい部屋に入ったみたいな感じがすると書いたことがあるのですが、こういう人の書いたもの逆の感じにある。
哲学は、新たな問いや謎、わからないことの認知を確かに生むけど、ただ迷わせるだけのものではない。考え続けることでわかることや、区別がつくこと、妥当な推論ができることがたくさんあるのだ。
□教育のパタン・ランゲージ
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□IPHONE13回収。13を実用後、10を近いうちに売る。
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