教育学の理論は、実践を一般化したものなので、生産的失敗と言っても、具体例をすでにあった実践からあげることができる。
実践として色々やるわけだけど、単一としてではなくて、それぞれ関わり合いながら影響しあいながら経験が構成される。
生産的失敗の理論について、ちょっと調べてみたけど、今年度もそうですし、昔から、その必要条件と言われることについて、もうすでに実践している感じでした(教育のパタン・ランゲージの構成によって、より明確に自覚できたと思う)。そういう意味では、エビデンスのある方向で、状況に応じて、たぶん、ケインズの言葉みたいに大まかに正しい方向で教育設計できている。あとは、自分なりに質を高めていくことが課題。
勘所を押さえる、自覚しているというのは、大まかに大事だろうな。大まかな方向性さえ間違っていなければ、いくらでもは言い過ぎかもしれないけど、リカバリーできるから(というかリカバリーしやすいのだと思う)。
この生産的失敗の理論は、なぜカイさんやゴリさんの教育実践が優れているのか説明するものでもあると思う。その教育設計の条件が、見事に当てはまったから。
生産的失敗の理論で英語の授業を作ってみたという日本語の論文があったけど(その論文はすごく意味があると思う)、ただ、この理論だけでは足りないのだ。その理論は、多様な教育という現象の一側面を幾らか照らしているだけだから。
https://repository.kulib.kyoto-u.ac.jp/dspace/bitstream/2433/235678/1/j.tsc.2018.06.001.pdf