読書嫌いにする九ヵ条

途中まで読んでた
ジャンニ・ロダーニの「ファンタジーの文法」と「幼児のためのお話のつくり方」を読んでます。

ファンタジーは想像力という意味で使われています。
メインの話は、「ファンタージーの二項式」です。
ファンタジーを働かせるにはどうすればいいかという話。シンプルだけど、よく意識して、また無意識に使われている方法だと思います。作家の時間のミニレッスンでたぶん使える。他にも役に立ちそう。しっかり読みきって消化しようと思ってます。

メインの話とはあまり関係ないけれど、
子どもを読書嫌いにする九ヵ条があったのでもメモ。参考になる。
本を嫌いさせてしまったら、最悪です。無理させるのはよくない。
読んで考えていたら、
嫌なことを思い出して愚痴が多くなってしまいました。でも、嫌いにさせることについて話しだから、あるなら嫌なことをそりゃあ思い出しますね。

①テレビの代替物として本を与える。

②漫画の代替物として本を与える。
僕は、漫画でもなんでも、
おもしろいものから、
読みたいだけ、読みきったほうがいいと思います。
漫画でも何でも、
ほんとにおもしろいと評判の話や名作から、読むのが大事だと思います。ほんとうにおもしろい漫画を読むと、つまらない漫画を読まなくてすむと思います。それに、一流のものに触れると、二流、三流もわかるようになると言われます。

③昔の子どもはもっとたくさん本を読んだものだと、いまの子どもに言うこと
「昔は、子どものためのよい本があった」
名作の押し付けもマズイかもしれないです。読んでほしい本があるけど、押し付けにならないように気をつけます。

④今の子どもは娯楽が多すぎると考えること

⑤読書が好きでないからといって、その責任を子どもに負わせること

⑥本を拷問の道具に変えること
つまり様々な課題を通して苦痛を継続させることであり、苦痛にいっそうの拍車をかけること

たとえば
・ページの筆写
・文法的分析
・論理学的分析

やり方次第だと思いますが、気をつけたいです。本嫌いにさせたら、一番よくないと思う。分析批評という一つのやり方(文章を見る視点を教えて、文章を分析させる)で盛り上がった事例を読んだことがある。文章の外の関係の分析まではいかないが、かなり立派な分析をしていた。かなりおもしろくなさそうですが、それで本が嫌いになるとは限りません。でも、嫌いにさせることもあるでしょうね。それは決定的に痛いです。でも、分析も大事ですね。

・要約

・暗記

 思い出した。高校の時に竹取物語を暗唱させられて、吐き気がした。単位をとるためにがんばって覚えました。でた!単位にしか意味を見出せないつまらんテストはやめてくれ。暗唱もしたし、中間・期末テストでも平均点以上だったのに、成績が1になり単位を落とされたことを忘れられない。前の方の席で授業と関係のない本をいつも読んで、教員の話をまったく聞いてなかったので、嫌われていたのが主な原因だと思います。評価基準は授業態度とか好き嫌いが一番大きいな基準だったのか。誰のための教育なんだか。高校の教員なのに、たしか黒板に間違った文法の知識を書いていた。後でテスト勉強をしたときに、ノートを見てわかったが、誰も授業に参加している人たちが指摘しない。
教員室で指摘したら、謝罪もない。傲慢な教師。大学を受験するための書類をもらうために、高校に帰ったときも、酷いことを言われました。ほんとに嫌な気持ちになりました。いい人もいたが、嫌な教員が多かった。学校の教員が嫌いなことだったり、様々な原因が重なったりして、基礎的な勉強から一時期離れることになったのは、もったいなかったですね。実に損でした。いやあ、僕が経験した一部の学校教育は学問から僕を遠ざけてくれましたよ。それに負けない自分がなかったです。負けるとかそういうことでないかもしれません。子どもを学問や読書に接近させるには、何かしら大人の働きかけが必要なんでしょうね。そう考えると読書や学問に導いてくれた働きかけの恩の深さをしみじみ感じます。何のために学問があるのかとか、深い知的な探求とか、学問に接近させる働きを大学までの学校教育で経験できた思い出がまったくない。記憶がない。そりゃあ、それで学問や読書から遠ざける原因が多ければ、遠くなりますね。

 今勤めている学校では、宮沢賢治の詩を暗唱する課題を校長先生が毎年されていますが、参加が自由なのがいいと思う。名文を暗記することは大事だと思います。ただチャレンジするのは自由にしたほうと思います。せめて作品を選択できるようにする。

・解説


⑦子どもに本を読んでやることを拒否すること

⑧十分な選択を与えないこと
やはりリテラチャーサークルはいい。ある程度選べるから。選択できるのは、学びの原則に合致してます。ある程度選べるようには、工夫することできます。

⑨本を読みなさいと命令すること
本嫌いにはならなかったけれど、本を読もうという気持ちに学校教育でなったことはありません。僕が本を読むようになったのは、親の読み聞かせの経験と「青春対話」という本が主原因だった思います。「青春対話」には青少年の様々な悩みに答える中で、読書の重要性が説かれていました。それをなんとなく読んでいたのが、ある時に読書習慣へと花開いたような気がします。

本嫌いにさせることがあると行っても、何もしないわけにいかないですね。でもある程度有効であろう働きかけはわかっているので、様子をみながら実践します。

「読書に対する愛は技術ではなく、はるかに内面的な、人生と結びついた何かなので、平手打ちでは習得されないものです。」

教育実習のクラスがほんとに凄かったこと思い出します。
クラスの9割が読書が好きだと手をあげてくれた。嫌いな人がいなかった。
30人くらいいて、その中の3人は学校の図書室の本をすべて読み尽くす勢いで本を読んでいました。常に傍に本があることと、図書の時間があること(ブックトークは短い。多くの時間は自由に読書する)、読み聞かせがあったり、あまり特別なことをしていなかった。本を嫌いにすることをしないで、本を好きにするような働きかけをすれば自然に本を読む習慣が身につくんだと思う。空き時間に好きな本をを読むことを許しているのが大きいと思いました。別に算数の時間にドリルが終わったら、好きな本を読んでていいと思う。これを許さないメリットもわかりますが、僕はデメリットのほうが大きいと思います。そのクラスは、少しの時間を見つけては、本を読む子が多かった。