教育実習 振り返り

教育実習のクラスは、
西川純の「学び合い」ではありませんでしたが、
学び合いのあるクラスでした。
たとえば、算数では課題の問題を全問正解すると、順番で回ってくる「丸付け先生」か、そのほかの人は、「お助け先生」になり教室を「立ち歩いて」学び合いをします。手が空いてる人は読書!これはとても合理的なことだと今も思います。しかし、教育実習の研究授業を思い出すと、割り算単元、親鯨は子鯨の何倍という回答を出す文章問題の導入で、その学び合いを封印しようということになったのでした。もちろん読書も封印。理由はたぶん、見栄えが悪いからということだと思います。昨日先輩に言われたように、学び合いをしていると一見学級崩壊にしか見えないからです。かっこ悪いし、誤解されるかもしれないからです。教育は格好じゃないと思うんだけどな。まさに自分がしていた研究授業ですが、研究授業を観察すると、一見いろいろ物を黒板に貼り付けて格好良く見えますが、ただ回りくどいだけで、全然目標にまっすぐでないことがあるように正直僕は思います。教育ってもっとまっすぐになってほしいと思う。大学教育まで全部。昨日のマドンナの絵本にあるように、大切なのは、どう見えるかではなく、ほんとうはどうなのかだと思います。自分にしたって、よく見せようとするいやらしい命が出てくる。もちろん教育実習のお世話になった大恩人の先生が「学び合い」と待ち時間「読書」を封印してくれたのは、もちろん僕を大切にしてくれたからだと思います。めちゃくちゃいい先生でした。管理職の先生からは、あんな先生はめったにいないあなたはラッキーだと思うと言われ、若手からは「神」と言われ、中堅の先生からは「完璧な授業」をすると言われ、みなに慕われ、学校の柱として活躍されている先生でした。僕に授業をまかせてくれて、忙しい中、親身に指導をしてくださいました。あの「誠実」!尊敬の念が自然に湧いてきます。自分が受けた義務教育にいい思いはあまり思い出せませんが、教員を目指してから、たくさんの子ども思いの誠実な先生に出会うことができています。在りがたいことです。僕は素敵な先生方と縁ができています。



自分が、一人になったときに、普段どおりの授業できるか。どうなるか。さまざま問題がある。難しいことだろうと思います。葛藤。矛盾をしていると思いますが、「絶対勝つ」と決めて、結果はある意味気にしない。とにかく「今」が大事。そろそろグダグダ日記を今日は引き上げよう。関係性。「我」通すところ、通さないところ見極めなくては。