学び合い入門セミナー メモ

違和感といえば、教育基本法の「人格の完成」の解釈に僕は違和感を感じます。たしか西川先生の学び合いだと「人格の完成」とはコミュニケーション能力とか人間関係の力であると本で解釈されていたような気がします。確認してないので、正確ではないかもしれません。でもだいたい合っていると思います。「人格の完成」にコミュニケーション能力や人と関わって仕事をする力が入っていると思いますが、僕は基本法の「人格の完成」はもっと広くて豊かな意味を含んでいると思います。読んり聞いたりした感じで、「人格の完成」を狭く解釈している印象がありました。人間性とか人間の可能性を開発すること(少し学んで思ったことですが、「人格の完成」はカントやペスタロッチなどの教育思想、哲学の流れから生まれてきた言葉であるに違いないと思います。ちゃんと調べてないけど、たぶんそうだと思います。西洋の考えを研究して教育を考えたり法律を作っているのだから)を考えると、とにかく本や講演で解釈されていた意味だけの言葉ではないと僕は思います。わざとせまく解釈しているのかもしれないと思いました。「学び合い」を説明するために、せまく解釈しているのかも。でも、当然僕が思っている「人格の完成」と西川先生の「人格の完成」の解釈と、あと歴史的な文脈で思想史的に出てくる解釈は共通するところがあるけど、多少は違ってくるのは当然だと思います。以上の点で「学び合い」だけで、教育がうまく行くとは思えないですが、「学び合い」は素晴らしいと思います。道理だと思います。教員の活動(一斉指導)が少なくて、子ども自身の活動が中心で、学び合いがあるというのが、教育の効率を考えると道理だと思います。子どもの教科に対する意欲を育てるという視点や、西川先生の研究や、アメリカの研究者の覚える割合の統計、吉田新一郎さんの学びの原則、ペスタロッチやルソーなどの教育思想、教育を20年以上受けてきた経験などすべての経験から総合してそう思います。


いろいろ考えてしまいましたが、「人格の完成」が教育の目的であるというところは、西川先生と同じ考えです。でも「人格の完成」をどう考えるかで、だいぶ教育が変わってくると僕は思いますので、考えました。ただなんでもコミュニケーション能力とかいえるかもしれないですね。人間関係の力。でもそれが具体的にはどういうことなのかわかっていることが重要だと思います。


以下ノート
少し日がたつと、もうかなり意味不明です。


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社会科離れ
原因 ごく普通の言葉がわからない
(例)政治、首都、戦争など

教科書の漢字とカタカナの部分がわからない
子どもはどう解決するか
友だちに聞く
国語辞書を利用する
資料集を利用する

携帯電話の説明書の話
普通人に聞く。耳学問ほどよいものはない。

「学び合い」がすごいのではありません。従来の授業が悲惨すぎるのです。


本当の原因は、そのような研鑽を重ねた熱意、学校教育の意味や子どもをどのようにとらえているかという考え方→この教員の考え方に子どもは大きな影響をうける。校長を考えればわかる。


教育学部では模擬授業を繰り返しするらしい。いいなあ。


「学び合い」の考え方を3つ共有する

①子どもをどうみるか(子ども観)
②授業をどうとらえているか(授業観)
③学校観


①みなさんはわからないことがあった時にどうしますか。
解りたいという気持ちやどうしてなんだろうという気持ちは誰でも持っています。私たちはそのような気持ちを…。

②「なるほど!そうか」と思ったことはありますか。
わかりやすく教えてくれる人を探してください。教えてもらう人が教えてくれる人を見つけていく必要がある。

③何のために学校にくるのでしょうか。
教育基本法とそれをわかりやすくしたものを伝える。
「みんなと相談する」「みんなで協力する」「みんなができる」強調する。

□授業中わからないことがあったらどうしますか。
「どんどん動いてください!」


模擬授業、みんなできるが達成できなかった。
「どうすれば達成できると思う?」
「なんで達成できなかった?」
「どんな気持ち」


内田樹が学びあいフォーラムにきた。
苦しさの原因はアトム化


能力観
一人でできること
そしてかかわりあってできること


ポイントは目標の共有(責任の分担)
可視化
評価


実際にやってみよう
ミルク&水
同じコップを二つの飲み方を示す。
ミルク(飲み物をみて飲む)
水(見ず、つまり見ないで飲む)
問題を出す。
わかった人は座る。
何回かする。
解っていない人は時間内にわかっている人に教えてもらって、わかったら座る。


わからないとき どうした?
学級目標の共有化

教えてもらったときの気持ちは?
教えてあげたときの気持ちは?
→評価基準の共有化


学級便り 学習 参観を通して伝える


4月序盤
国語
相談タイム(2,3分)
同じ考えての人を見つけて座る(視覚化)

算数
ネームプレートの移動(視覚化)
これ教育実習のクラスでやりました。できた人とまだできない人がわかるようにしました。


学習状況の把握
学ぶ=○○ができるようになる。新しい情報を入手する。⇒学ぶ=意味が変わる。


可視化(良いところを見えるようにする)
関係がないけど、掲示物とか凄く大事だと思います。
①見えるようになること
起立…まだ、わかっていない
着席…すでにわかっている

児童…コミュニケーションの促進 
教師…学習状況の把握


②〜として見えること
まわりがその人がどう見えるか決めている
一人だけたち歩いていたらおかしいけど、
みんなたち歩いていたら、たち歩きが普通になる。
みんなが立ち歩いて学び合いをしている環境で、一人だけ座学していたら、それがおかしいといことになる。

評価
(見ていることを伝えること)

学び合い…効果的な情報伝達


仕事の分担⇒責任の分担
成果も心配も共有する


課題を酸素を吸って二酸化炭素をはいていることをたしかめる

グループで自信のなさそうな子を指名することで確認する。

算数…答えを置いておく(教える子のために)


全体のどこに情報があるのか教えてあげる

・あの先生に評価されるとうれしい(教育の前提)

(たぶんここから、フリートークのときの西川先生の話)

・高次のことを子どもに求め続ける
先生から、一人の子だけを特別扱い(例えば、できない子のための特別な目標設定)してはいけない。子どもから相談される場合は別。あくまで先生は高次のことを子どもには求める。


・課題達成は先生の仕事ではなく、子どもの仕事である
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