アラゴン② 「火」

アラゴン「火」より 大島博光訳


わたしは過ぎさった過去を 一挙に思い出す
絶望にさいなまれて さまよい歩いた日々を
この世にすねるよりも もっとも偉大だった愛を
たのしかったこと 苦しかったことのすべてを


アラゴン「いつかある日」より 大島博光訳


人間の偉大さであり気高さであったものすべてが
悪にたいする人間の抗議 歌ごえ 英雄たちが
この屍を越えて この死刑執行人(ひとごろし)どもに抗して
きょうグラナダで 犯罪を前に湧き上り立ち上る


たとえ 相も変らず 王侯どものたぐいと
ひれ伏す人たちとのいさかいや 戦争があり
歓迎もされずに 生まれてくる子どもがあり
小麦がいなごどもに 食い荒らされようと


たとえ相も変らず牢獄や車刑にあう肉体があり
相も変らず 虐殺が偶像によって正当化され
死体のうえには あの言葉のマントが投げかけられ
口に猿ぐつわ 手には釘がうちこまれようと
だがいつか来るだろう オレンジ色をした日が
額に月桂冠をいただく 勝利の日が来るだろう
銃を肩から下して 人びとの愛し合う日が来るだろう
小鳥が いちばん高い梢でさえずり歌うような日が



『眼と記憶』「わたしはこんにちの街や森を弁護する」から 大島博光訳


いや 危険のさなかにも わたしは求めない
    オアシスや逃げ道を――そして
この世を変えようとする芸術を有用で
    美しいと考え 逃避を拒否する


わたしは日々の苦しみに襲われる人類を前にして
その眼を閉じるやからのひとりなのか
わたしは風を避けて風の琴を鳴らそうとする
    ばかものたちのひとりなのか



わたしは要求する 道の曲り角で
夢みる権利を 大いなる散歩の魅惑を
いまや砲撃の近づいているこの世界に
    わたしが心動かす権利を


わたしは要求する わが祖国を描く権利を



アラゴン最後の審判はないだろう」から 大島博光訳


ひとびとが閉じた その眼で見たのは
鉄と 火と 飢えと 家々のかまどと
太鼓におおわれた かずかずの銃と
マストにまでかかげられた苦悶の姿
われらがぶつかる この試練には
もう 病院も 手術も 役に立たない
まさに ヒロシマ廃墟の絵図さながら


もやは すべてのざわめきも とだえ
もはや 絶望するものさえ いない


この 魔法のような 大虐殺は
われらを 有史以前へとつれもどす
殺そうにも 生きもののいない屠殺場
墓碑銘を書こうにも 書き手がいない
死が勝ちほこる 蒼ざめた岩のうえに
化石と化した われらのすがたを
いったい だれが読みとるのだろう


だがたとえ歌が煙りのように消えてゆこうと
わたしに耳傾けるひとが ひとりもいなかろうと
街まちに ひとの足音がとだえようと
気も狂わんばかりの 狂おしさで
わたしは 歌をうたいつづけよう
愛の歌で 答えつづけよう
愛するひとよ わたしのただ一つのこだまよ