生活を振り返る 

毎日祈るのですが、最近それが微妙です。僕の場合、朝は30分以上、夜もしっかりやりたいところです。ちゃんと祈れると全然違うんです。生命力が一番違ってきます。それがわかっているのにできていないところがまずいです。ちょっとした仕組みもありますが(例えば目覚ましは二つ以上セットするとか)、僕にとっての自分に勝つための最重要の仕組みが祈ることなんです。8年間くらいを振り返ると、
僕の場合は、
しっかり祈れていることに比例して、生活が充実しているように思います。自分をコントロールできています。


大乗仏教を修行すると、ついてくる徳というのがあって、
その中に自己コントロール力(表現は違いますが)があります。
祈っていると、
やはり自己コントロール力は自然とついてきます。


昔は超短気だったという先輩たち(暴走族でパトカーを「なんだこのやろう!」と蹴っ飛ばしていた先輩や、なんの罪もない自転車を放り投げていたような先輩)が、前よりも自分をコントロールできるようになって、真面目にサラリーマンをされていたり、奥さんと子どもがいて家庭を守られたりしています。本人たちからとても気が短かったが、自分をコントロールできるようになったと聞きました。


毎日習慣的に祈るというのは、
日本では少ないかもしれないですが、世界的には多いと思います。
最近イスラム教に関する本を読みましたが、やはり毎日祈るみたいです。


自己コントロール力を養う方法はいろいろあると思います。
祈っているだけじゃだめですが、祈りは有効な方法の一つであるとは思います。
基本的には自己コントロール力を認識して、どうすれば自分をコントロールできるか考えて、それを実践して振り返ってという体験学習サイクルの螺旋を上っていくことが大事だと思います。ああ、基本的なことができてない。もっと丁寧に生きましょう。


なにかの本(たしか原田隆史さんの本)で、自分を鼓舞するような言葉をいつでも見れるようにして、目標に向かっていけるようにするということがありました。これも自分をコントロールする方法の一つだと思います。僕は御書(日蓮の遺文)だったり、偉人の言葉を見れるようにしていました。今は御書の抜粋だけですが、ファイルに入れて、いつでも見れるようにしています。これをパソコンの近くの壁に貼ったり、トイレに貼ったりするといいのかもしれないです。毎日見れてない。見れるようにしないだめですね。自分を戒める言葉が頭に浮かんでも確信犯でその言葉を裏切るときがかなりあります。なんて弱いんだ…。


御書はたとえば以下ような言葉を30くらい抜粋しています。

「未来の果を知らんと欲せば其の現在の因を見よ」
「心の師とは・なるとも心を師とせざれとは六波羅蜜経の文なり」
「わざわいは口より出でて身をやぶる・さいわいは心よりいでて我をかざる」