セルフハイポイントインタビュー+出会いの振り返り

①師弟がない時期
②師弟が強い時期
③師弟が弱い時期


師弟が最も強い時期に最も自律できました(大学受験をする19歳のときから21歳くらいまで)。今はないわけではないですが、弱まっているのが現実。


出会い
①読書(高校時代。最初は主に物語、村上龍村上春樹などの現代作家や「カラマーゾフの兄弟」など古典。「エッカーマンとの対話」「ソクラテスの弁明」「葉隠れ入門」「7つの習慣」やインディアンの本などのノンフィクションとか思想の本も少し読んでいた。あと「青春対話」を読んでいた)。
ほとんど何も知らなかったので、衝撃的でした。真っ白という感じだったので、その影響力は凄まじかった記憶があります。大きく変わった。その前には自分に戻れない変容。何も読んでなかったので、学ばなくては、もっと読まなくてはという焦燥感がありました。でも読書をとても楽しんでいた。高校3年生のときに牧口常三郎に海外の学者が書いた入門書をたまたま読んで衝撃を受けました。当時は頭の中が混沌としていたので、こんな明晰な思考をする人がいるのかと思ったと思う。それに逆の教育を受けていると思った。迷いが晴れていくのを感じ記憶があります。でも信仰まだ知らず、その後に心身ともに低迷して糸の切れた凧みたいになった。それでたまたま家で読んだ「生命論」という日蓮の生命論を現代的に論じたものを読み、信仰を実験してみようと気持ちになる。


②信仰(最初から家にありましたが、自分の中に見つけた感じ)
これもびっくりするくらい自分が変わってしまった。世界観。徹底的に勉強してやってみた。



③科学・哲学(社会科学や自然科学などと西洋哲学や東洋哲学など歴史と理論を自分なりに探求した大学時代)
真面目に特に哲学や科学、歴史の本を読み漁った。これも自分を大きく変えたと思う。科学や哲学を通してなどさまざまなことを考えた。世界が灰色に見えるくらい読んで考えました。小学校、中学校などは表面的なことしか教えてなかったと思うので、その科学や哲学の世界の影響力は凄まじかったと思います。はやく目覚めれていれば、もっと深く勉強できたと思う。数学をきちんと学ばないで大学に入学したのが大きかった。数学がないと困る分野がたくさんありました。あのときの学ぶ勢いは今はないです。それにもうほとんど忘れてしまった。中途半端な勉強だったと思うけれど、当時のいくつかの疑問を晴らすには十分だったのかもしれないです。19歳から22歳まで。大学は美しかった。学ぶことがとても楽しくて刺激的でした。



今の自分はどうなんだろう。がむしゃらといえば、がむしゃらに仕事をしているけれど、何かが欠けているのかもしれない。信仰や師弟が最初に比べると弱まっている感じがする。というかかなり弱くなっている。よく言うと10代に比べると、知識と経験が増えて、落ち着いてきている。情熱はどこへ。情熱がないわけではないけれど…。またもっと純粋に前に進める、自分に勝てる自分になりたいです。



今考えると前も思ったけれど、大学に入る前に新書を読んだことが一度もなかったです。新書の存在を知らなかった。経験が偏っていた。新書の社会科学などの名著を読んだときに、なんでこれをもっとはやく読まなかったんだろうと当時思いました。やはり環境って大事だと思う。もし中学生や高校生くらいの子と関わるのなら、必ず新書がたくさんある環境で育てようと思ったことを思い出した。



池田先生の本をすべて読もうと決意して読んでいた大学時代(たぶんほとんど読んだ)。毎日読んでいて、毎日勇気と励ましをもらっていた。朝と夜の勤行を欠かすことはなかった。


たしかな技術とトルストイやルソー、ヘルバルトの思想(全部じゃなくて、ある部分の思想)が根底にある学校を創りたいかもしれない(そのためには様々な力が足りないです。)。昨日クラスの子に先生の夢は何って聞かれた(笑)。ちょっと困って考えて、ユニセフの映像をみんな最近見ていてたので、そのことの関する願いを夢として話しました(その願いに向けて何をやってるんだろう…)。学校を創るという夢はできるとかできないとか抜きにして素敵だなと思います。