牧口常三郎の思想』

「『創価教育学を一言に要約すると、どうなる』といった虫のいい質問を受ける機会があります。そういうとき、即座に『頑張ることをやめよ、頑張らずに頭を使うよう努めよ、というふうに要約し得ます』と回答することにしています。すると、相手の質問者は、露骨に惘れ顔をしてみせ、わたくしの前から立ち去って行くのを常とします」48項

「本物の知者=知識人だったらならば、戦前戦中(いや、現在とても然りですが)日本の学問水準が到底『知育偏重』の水位まで上昇しておらず、あべこべに『知育偏軽』『知識貧弱』(従って『道徳偏軽』『道徳貧弱』)の海底面に釘付けされたままでいることを、看過誤認することは無かったのです。本物のなかの、すぐれて本物の知識人だった牧口の眼には、日本の教育現実はどんなに暗澹たる光景(げんに彼は日本を『教育中毒』と呼んでいる)として映ったか。七十年後の今日とて同じです。
 小学生が、自分の気に食わぬ子をいじめて平気でいる。中学生が、公園のベンチに寝ている老人を殴り殺す。高校生が、酒や麻薬や性暴力その他の犯罪をおかす。――これらは知育偏重・徳育偏軽が原因で生起することなのですか。すべては知的に貧弱劣悪だから起こると理路整然と分析し論証してくれる牧口『二育説』および『日本人知識貧弱説』に、賛成せざるを得ないではありませんか。俗説世論に逆らってでも、いま、『知育偏軽』の教育現実に立ち向かおうではありませんか。
 一見迂り道のようにみえても、知識=知性を最大限に働かせて人類普遍の真理を獲得することこそ却って幸福実現への捷道となる、との見通しに立つ牧口教育理論は、今なお正しく新しいのです。」70項