スペンサー

前の日記を読みかえして
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スペンサーの三育論という話。これはスペンサー自身が自分の著書について語っている本を読むと嘘だということがわかります。当時、知育とか徳育とか体育とかの論文をそれぞれバラバラに出版したかったのですが、それができなくてまとめて出版したということです。スペンサーは、三育論を主張したかったのではないというのが事実みたいです。でも嘘が当たり前になっている。しかも徳育の論文では、道徳教育なんかするなと主張したかったとスペンサーは述べています。


何かの本でカントは観念論の祖みたいなことを読んだことがあります。これも大学時代に斎藤先生の論文や「純粋理性批判」を読んで嘘だいうことがわかりました。「純粋理性批判」の一番最初に認識は経験からはじまると書いてあります。



ヘルバルトは、何かの本で読んで詰め込み教育というイメージがありました。でも実際は詰め込み教育に反対した人でした。
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酷すぎると思います。インチキな学者にだまされないようにしないと。
桜の話もそう。日本の伝統の桜という話も作り話です。
伝統は国民をコントロールするためにないものがあったかのように創出されます。
露骨にやっている他の国を見るとよくわかりますし、
そこに比べれば日本は少し巧みにやっているくらいで違いがないです。少し昔はほとんど同じ。
インチキな学者に負けずにインチキな政治家とジャーナリストがいるからさらにだまされないように注意したほうがいいです。政治や教育の問題でもあるけれど、とくに国民が一人一人がしっかりしないと政治家は育ちませんし、政治もよくなりません。しっかり学んでいこうと思います。


こういうことを書いているときはあまりいい心の状態ではないかもしれないです。現実を考えるといろいろなことがあると思います(暗黒の気持ちになってくる。清しろうの叫びを思い出す。)。でも生きている世界を一インチでもよくするために自分にできることをしていこうと思います。僕はその過程を楽しみたいと思います。

世の中暗い面はあるけれど明るい面もある。それを増やして行くこと