あいさつ

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第9回 あいさつは希望のひびき
             (2013.1.1付 少年少女きぼう新聞)

 大好きな世界の少年少女部のみなさん、あけまして、おめでとうございます!
 みなさんも、お父さんやお母さん、ご家族や地域の方々、そして友だちと、お正月のあいさつをかわしたことでしょう。
 お正月は、ふだんとちがうあいさつなので、少しきんちょうするかな。元気よく、すがすがしいあいさつができましたか?
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 私は、心をこめてあいさつすることの大切さを、師匠の戸田城聖先生から何度も教わりました。戸田先生のもとでは、多くの学問を学ぶとともに、あいさつのような、人間としての基本についても身につけることができたのです。
 あいさつには、人の心が表れます。あいさつによって、自分の心が相手の心に伝わります。
 私が、世界のリーダーと深い友情を結ぶ上でも、戸田先生に教えていただいたあいさつが、大きな力となりました。一流の人たちは、みな、あいさつが見事です。
 私は、大統領にも、幼い少年少女にも、同じように、きちんと、あいさつすることを心がけてきました。なぜなら、一人一人が持っている生命の「宝」を、同じように尊敬しているからです。
 日蓮大聖人は、「釈尊がこの世に出現した根本の目的は、『人としてのふるまい』を説くことであったのです」(御書1174ページ、意味)と言われています。
 あいさつは、「人としてのふるまい」の中でも、とても大事なふるまいです。
 いつでも、どこでも、だれにでも、誠実に、さわやかにあいさつできる人が、本当に偉い人だと、私は思います。
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 ある年のお正月のことです。
 戸田先生に、ある人が「おめでとうございます。本年も、あいかわらず……」と、あいさつしました。
 すると先生は、「『あいかわらず』ではいけない。去年と『あいかわって』成長していくのだ。『今年こそ』と新しい決意をすることが大事だ」と語られたのです。
 新年は、それまで自分が限界だと思っていた“カラ”をやぶって、「新しい自分」へと変わっていく、絶好のチャンスです。
 そこで、みなさんに提案があります。
 それは、この新年から“3つのあいさつ”にチャレンジすることです。
 1つ目は、朝の「おはよう」です。
 私も、朝早く、新聞配達をしていた少年時代、会う人に「おはようございます!」と、元気にあいさつしていきました。
 大きな声であいさつをすると、ねむけも吹き飛び、自分自身の心に「よし、きょうもがんばろう!」と勇気がわいてきます。
 朝、起きたら、お父さんやお母さんに、元気いっぱい「おはようございます!」と言ってみてください。はじめは、てれくさいかもしれない。びっくりされるかもしれないが、思い切ってやってみようよ!
 みなさんの一言で、家族のみんなも気持ちよく一日をスタートすることができます。これは立派な親孝行です。
 学校でも、先生方やお世話になっている方々、そして友だちに、自分から進んであいさつをしていこう!
 ポイントは、相手の目を見て、はっきりと声を出すことです。よそを見て、ボソボソと言っても、心は届きません。
 昼は「こんにちは」。夜は「こんばんは」です。「こんにちは」「こんばんは」という言葉の後ろには、もともと「ごきげん、いかがですか?」といった言葉が続いていました。それが、ちぢまったものです。
 つまり、相手を心配する「思いやり」から生まれた言葉なんです。あいさつができる人は、「思いやりのある人」です。
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 2つ目は、食事の時の「いただきます」。これも、大切にしたいあいさつです。
 「いただきます」とは、まず、ごはんを作ってくれる方々への感謝の言葉です。
 また、一生けんめいに働いて、毎日、ごはんを食べられるように支えてくれているお父さんやお母さんをはじめ、多くの方への感謝も、ふくまれています。
 それとともに、米やパン、肉や魚、野菜など、私たちが食べる食材は、命あるものからできています。私たちは、ほかの生物の命を食べて、栄養やエネルギー、生きる力を得ます。つまり、自分の命は、多くの生き物の命によって支えられているのです。それが、毎日の食事です。
 だから、「いただきます」には、「あなたの命をいただきます」という、深い感謝がこめられています。目の前にならんだ食べ物に、「あなたの命をいただいて、ぼくも、わたしも、がんばっていきます」というあいさつなのです。
 以前、このことを学んだ思い出を、生き生きと作文コンクール(現・少年少女きぼう新聞主催)に書き、入賞した友がいました。
 食事が終わると「あなたの命をいただきました。ごちそうさまでした」と、感謝の気持ちをこめるようになったそうです。
 さらに、むやみに食べ物を残すことは、その命をむだにしている、ということにも気づいたと書いてくれました。
 私も、その通りだと思います。
 食事ができるということは、決して、当たり前のことではありません。世界には、食べる物がじゅうぶんになくて困っている子どもたちがたくさんいます。
 食べることは、一番大切な命をつなぐことです。農家や漁師の方々のご苦労も決して忘れず、「いただきます!」と元気にあいさつしながら、もりもり食べて、じょうぶに育っていってください。
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 3つ目は、「ありがとう」です。
 みなさんも、今まで何度も言い、言われたこともあるでしょう。人に「ありがとう」と言われると、どんな気持ちですか?
 きっと、だれでも、うれしい気持ちや、幸せな心になると思います。
 「ありがとう」は、言われた人だけではなく、言った自分も幸せを感じられる“まほうの言葉”なんです。
 人に「ありがとう」と感謝できる人は、心の美しい人です。人の真心を感じ取れる賢い人こそ、世界中の人々を幸せにできるリーダーに育つ人です。
 日蓮大聖人は、いつも最高に「感謝」されていました。けなげな庶民の真心を見のがされず、「ありがとう」のお心をこめて、はげましのお手紙を何通も何通も書き続けておられました。
 私も、世界の友と、「ありがとう」という言葉をかわしてきました。
 「サンキュー(英語)」「謝謝《シェシェ》(中国語)」「カムサハムニダ(韓国語)」「グラシアス(スペイン語)」「メルシー(フランス語)」「スパシーバ(ロシア語)」「アサンテ(スワヒリ語)」……。
 「ありがとう」が世界中でひびき合えば、もっともっと平和な世の中になる──私はそう信じて、きょうも祈りをこめて「ありがとう」と言うのです。
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 あいさつをするにも、勇気が必要です。
 相手が、ちょっと気むずかしそうに見えても、みな、同じ人間同士です。胸を張って、明るく堂々と、あいさつをすることで、心のとびらを大きく開くことができます。何げなく声をかけることが、悩んだり、さみしい思いをしたりしている友だちの大きな力となることもあります。
 ともあれ、未来部のみなさんの、はずんだあいさつの声が、家庭でも、学校でも地域でも、何よりの希望になるのです。
 この一年、私も新しい決意で、みなさんが活躍する未来を開くため、さらに真剣に働いていきます。毎日毎朝、みんなに心であいさつをし、そして、みんなの明るい希望の声を心にひびかせながら──。

第10回 「自分がやる!」という人に
             (2013.2.1付 少年少女きぼう新聞)

 新しい一年がスタートして、1カ月がたちました。みんな元気ですか。寒い日が続いていますが、風邪をひいていませんか。
 いよいよ2月。創価学会は「伝統の2月」といって、この月を大事にしています。
 私は、この寒い寒い2月が大好きです。
 それは2月11日が、私の恩師である戸田城聖先生のお誕生日だからです。私と妻は、この日になると、毎年、お赤飯をたいて、お祝いしてきました。
 先生への感謝を込め、私は若き日、このお誕生の月である2月に、それまでの拡大の壁を破る、新たな挑戦の歴史を残しました。そこから「伝統の2月」と呼ばれるまでになったのです。私の青春の誉れです。
 どうか、みなさんも、寒さに負けず、勉強に、読書に、クラブ活動などに、たくましく挑戦していってください。
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 戸田先生は、青年に、よく言われました。
 「広宣流布は、この戸田がする。君たちも手伝いたいか!」
 先生は、「やってくれ」とは言いませんでした。すべて自分でやると決めておられたからです。その先生に、私たち弟子は、「お手伝いをさせてください!」と誓って続いたのです。
 「一切の責任は私がもつ!」──これが、広宣流布の指導者の心です。
 私は、この人生の師匠から、「責任感」という「心の宝」を受けつぎました。自分が立ち上がって、世界の平和と人類の幸福という広宣流布を成しとげてみせると決めて生きてきました。
 「だれがやらなくても、自分がやる」
 この心の宝を、未来の偉大な指導者である少年少女部のみなさんも、自分の中に、はぐくんでいってください。
 それは、決してむずかしいことではありません。その第一歩として、身の回りの「かたづけ」に挑戦してみよう。
 「うーん、それは、ちょっと苦手だなあ」と思う人も多いかもしれません。
 「かたづけ」とは「自分のことは自分ですること」です。このクセをつけていくと、心の中に「責任感」を、大きく、はぐくんでいくことができます。
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 ドイツには、「人生の半分は整理整とん」という、ことわざがあります。それくらい「かたづけ」を大事にしているのです。
 そもそも、かたづけは、何のためにするのでしょうか。
 それは、「次に使う時、すぐ取り出せるようにする」ためです。食事の時に使った食器も、また、みんなが着た服も、きれいに洗ったあとは、もとの場所にもどさないと、次に使う時に、さがさなければなりません。「かたづけ」とは、決まった場所にもどすことなのです。
 みなさんの先輩の「かたづけ名人」が、アドバイスしてくれたことがあります。
 一つは、物の置き場、つまり「指定席」を決めておくことです。散らかるのは、帰る場所のない物が、いろいろな場所に“置きっぱなし”になっているからです。
 また、指定席を決めたら、何を置く場所なのか、そこに書いて分かるようにしておくことです。「学校のもの」「習いごと」「おもちゃ」「思い出の品」などと、棚や引き出し、箱が分かるようにしておけば、とても便利です。
 そして、「かたづけ」が苦手な人は、「かたづけタイム」を決めておくのもいいでしょう。まとめてやろうとせずに、毎日少しの時間でいいので「かたづけ」をするとかんたんだし、いつもきれいにすごせます。学校に、あす持っていく物のチェックもできます。
 学校にも、「そうじ」の時間があります。これは、日ごろ使っている校舎や教室への感謝をこめて、きれいにするとともに、かたづけができる人になっていく練習をしているともいえます。
 私も、小学生の時に身につけた「そうじ」の習慣が、社会に出てからも大いに役立ちました。
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 仏教には、こんなお話があります。
 むかし、師匠である釈尊と同志のために「祇園精舎」(今でいえば、学会の会館や研修道場などに当たる建物)を建てた須達長者という弟子がいました。
 人がやりたがらないことにも、自分から進んで取り組む人で、毎朝、とても広い庭園のそうじをしていました。
 ある日、長者が急な用でそうじができなくなると、そのかげの努力を見守っていた釈尊は自らほうきを持ち、長者に代わって庭をはき始めました。この師の姿に、ほかの弟子たちも、あわてて続きました。
 そうじを終えると、釈尊は弟子たちに語りました。
 ──そうじをすることによって、自分の心がきれいになり、人々の心もきよらかにすることができる。そして、自分自身が美しくなって、仏や諸天善神に守られていくんだよ──と。
 翌朝、いつものようにそうじに来た須達長者を、釈尊と弟子たちは最敬礼してむかえ、日ごろの尊い労苦に、あらためて心からの感謝をささげたそうです。
 そうじやかたづけは、自分だけでなく、家族や友だちをも、すがすがしい気持ちにさせることができます。
 先日も、東京に大雪が降った時に、わが創価学園の寮生やサッカー部、野球部の友が若い力で雪かきをしてくれ、地域の方々が大変に喜んでくださったそうです。
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 身の回りを整理できる人は、頭の中も整理できる人です。成績も必ず良くなります。
 図書館の本も、きちんと整理整とんされているから、読みたい本をすぐにさがすことができます。
 創価学会の出発にも、大事な「整理」の歴史がありました。
 小学校の校長であった初代会長の牧口常三郎先生は、仕事のあいまに、ご自分の教育のお考えを広告の紙や封筒のうらなどにしるされていました。その一枚一枚のメモの大切さを、ほかの人が理解できないなか、牧口先生の弟子である戸田先生は、みごとに「整理」され、世界的な「教育学」の本にまとめあげられたのです。それが『創価教育学体系』です。
 きちんと整理整とんできる人は、新しい発見ができるし、正しいことを多くの人々に教えることができるのです。
 何より整理整とんは、事故をなくします。地震の時に、頭の上から物が落ちてきたりしては、大けがをしてしまいます。
 だから私は、学会の会館を訪問した時にも、すみからすみまで回って、整理整とんができているかどうか、戸じまりや火の元など、細かく一つ一つ自分の目で確かめてきました。
 「小事(小さなこと)が大事」なのです。会員を守る──それが私の「責任感」です。
 どんな小さなことでも、人が見ていても見ていなくても、自分の目標にチャレンジする人が、偉い人です。
 自分のことは自分でする。その一歩をふみ出す人が、未来の大指導者へと成長していきます。
 自分の苦手なことにも挑み、やりとげていく人が、本当の勝利者です。
 身の回りも、自分自身も、スッキリして、大事な2月を強く楽しく前進しよう!

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