こういうぐだぐだな日記の経験も大切かもしれないと思った。


振り返りで、いい作品創ろうなんてまったく思わない。
子どもの日記や振り返りに「」の会話文を使えとか本当はナンセンスなのかもしれない。


ただ「あしながおじさん」これはフィクションで、「アンネの日記」これはノンフィクションだけど、優れた日記には会話文が出てくる。五感を使ってたしかに文章を書いている。作文の会の先生が指導した子たちの優れた日記も同じ。それには価値がたしかにあると思う。


ただアンネはジャーナリストを目指したらしい、「あしながおじさん」もそうだし、いい日記は、いい作品を創ろうという意識があるかもしれない。


作品を創ろうという作文モードがあるとすれば、そうじゃないときもある。どちらが正しいとかそういうことはないか。自然でいい。