Kathinka Zitz und der Aufbruch der Frauen in Mainz


Fee Fleck
ポーランド出身の画家フレックさん、83歳。
アンネフランクとほぼ同年代。
ナチス強制収容所にいた経験がある。
構想ノートにはこう書き記されていたらしいです。

「いかなる形においてであれ、戦争は断じてあってはならない!
 百回も、千回も、いやそれ以上にわたって、私はこのことを考え、語ってきた。それは一貫して私の仕事の主流であった。
 自由な社会に生きる私にとって、この主題に芸術的に取り組んで意識を喚起しつづけることは、道徳的な義務である。
 私の芸術的表現が引き起こす挑戦は、つねに私の健康面、情緒面、それどころか資財面での限界と隣り合わせている。
 私はこれらの限界が突き付けてくる挑戦を避けずに、全身で受け止めよう」


勝手に引用していいのか分からないけれど、
共有したい気持ちが強く出てきたので、すみません。
こうやって戦い続けている人がいる。



戦いはやめませんかって声かけしていた尊敬する人が、
本当に戦っている人(これはのんきな人との対比で、
政治の現場で奮闘している人について)
は違うって、惚れるって言っていたことを思い出す。


言葉は大切だと僕は思うけれど、言葉に反応してはいけない。真意を読み取ること。
これは読むとか理解するというパフォーマンスに似ているかもしれない。
少し違うかも知れないけれど「理解すること」は「わかること」だと言えるかもしれないけれど、それは「理解」を理解したと言えるのか。『理解をもたらすカリキュラム設計』の中にある章ように、また脳科学や教育学の分野の一冊の研究書、レポートとして理解について説明したものもある。理解とは何か。これはちょっと違うかもしれないけれど、反応するだけでは、よく考えないと理解できない、分からない真理、真意がある。浅い理解にはその分、誤解が含まれている。


いろいろな意味で自分のことを反省します。
行動に表す人として良心が戦う心が自分にも残っていると信じる。
良心はあるとかないとかじゃないものかもしれない。勇気も良心も出すものか、たぶん。