牧口常三郎とナンシー・アトウェル 作文の授業

カンファランス、メンターテキストだなんだって、
カタカナで書くと新しいように思えるけれど、
100年前の牧口常三郎の授業にも、同じアイデアがある。


優れた技術だったり理論だったり、
僕はナンシー・アトウェルやジョージア・ハードの実践を学ぶ中で再発見します。



牧口常三郎とナンシー・アトウェルを比べると重なるところ、重ならないところと面白い。
フレッチャーやカルキンズよりもアトウェルのほうが牧口常三郎に近い。
『インザミドル』を読んだ時にそう思いました。


アトウェルに倣って、
今年度もできるだけ自分が作る過程を下手でも見せるようにしています。
夏休みまでに説明文を二本書かせます。
ちょっと順番をミスったかもしれないですが、
「いろいろなふね」という説明文をメンターテキストにして、
自分の好きなことを説明する。
僕は「いるいろなふね」をメンターテキストにして、
「いろいろなスパゲッティ料理」という説明文を書きました。


「いろいろなふね」とほぼ同じ構造で書かれているものをさらに教科書で二つ、合計三つの説明文を読んできています。その経験を活かして書く。


ただ準備が遅れていて、本当は気になる記号という国語の単元を先にやったほうがいいのかもしれない。その身の回りの記号を取材して説明文を書くのと、
と自分の好きなことの説明文を書くこと、どちらが難易度が低いのだろう。


自分の好きな遊びなど、自分の得意分野を説明するほうが楽なのだろうか。見通しをもらせて、明日題材探しの授業をするのですが、見通しをもたせた段階で書きたい!といって、もう説明文を書き始めている子が数人。


作家ノートははじめているのですが(振り返りジャーナルの代わりでもある)、
今日はじめて作家の時間だと言って、
作家の椅子で共有する時間を入れたデザインの授業をしました。
書く時間が20分間くらいしかなかったのですが、最初に作家の椅子で発表した子の作品のジャンルは説明文笑  微妙と思いつつも、作家の椅子で発表してフィードバックをもらえることの嬉しさを思い出しました。


日記の指導なども丁寧にやりたいけれど、時間がない。
読書教育の充実に向けてやれることをやるのと年間の共通のカリキュラムの教科書の学習内容をカバーすることで、もうあまり余裕がないです。


ただインプットが優先だと思うので、僕は読書教育を優先しようと思う、これからも。
振り返りを書かせることが、日記指導の代わりにもあるていどなる。


毎年少しずつよくなっているかな。
段落やはじめ・中・終わりなどの意識がより育っていると思う。


説明文の前に俳句や詩作の授業ができていないのは教材の順番として改善点かもしれない。
近いうちに俳句はやりたい。詩作も丁寧にやると時間がかかる。でもアトウェルと同じで、はじめのほうに扱うべきジャンルだと思う。できれば夏休み前に教えたい。


前の学年でも詩を書いていて、すてきな詩を書いていたのだけど、自然にはなかなか書かないか。それは多くの大人もいっしょか。自分もこの仕事をしていなかったら、書いてないかも。高校生の時に恥ずかしい感じの詩を書いていたけれども。



説明文をやりつつ、詩(一時間でやれる俳句は近いうちにやろう)。岩瀬直樹先生の追試で、「うその詩」だけはもう教えました。



『インザミドル』を経験して、
前に進めそう。
読み書きを統合した授業、
リーディングとライティングワークショップのレポートを新しく書きたい。
またアウトプットを意識して学んで実践したい。



そういえば、本を紹介することを期待するといって、
すでのブックレビューを少なくとも一本以上は全員書いているので、夏休みまでに三つ以上説明文を書くことになる。ブックレビューも説明文。2回目の締め切り(ブックレビュー)では、説明文の授業で学んだことを活かして文章を書けるといい。