'Take Sides'の原則

 'Take Sides'の原則というものを知りました。常に、少数者、差別された人たち、貧しい人たちの意見のほうに、より耳を傾けよう、という考え方のことです。「人にはいろんな意見があっていい」というのは、ネルソン・マンデラを代表とするアパルトヘイト検証会議や、ユーゴにおけるジェノサイドを検証する課程で、差別とジェノサイドを助長するとされた考えみたいです。それならば、「ユダヤ人は皆殺し」という意見もOKになります。それでネルソン・マンデラが基本としたのが、この'Take Sides'の原則というものみたいです。
 最近またこのことについて読んで、前よりもその原則のことをさらに大切に思うようになりました。世界にも日本にもいろいろな出来事があるけれど、この原則を基本に考えていきたいと思いました。議論に勝とうとかそういうことではなくて(正直、どうでもよくて)、この原則を外さないで現実的にどんなことができるのか考えたり話し合ったりできたらと思います。
 少数者、差別された人たち、貧しい人たちに対する配慮が感じられない政治などの判断を読むと、根本的にどうなのかなあという違和感があります。その判断にも、その人たちの理由と興味・関心があると思うけれど(お金、経済のことが多い。でもお金、経済のこともふまえて、Take Sides'の原則から何ができるかってことだと思う。)、やはり違うなって僕は思います。そういうのを支持できない。
 原発再稼働とか、安保法案についてとか、それだけではなくて、いろいろな政治的な判断があるけれど、やはり'Take Sides'の原則を大事にしたいって書きながら思い直しました。
 原発再稼働して、その関連の記事を読むと、これで経済が活発化するって、すごく待ち望んでいた感じがとても伝わってきました。原発が止まっていたことが、その地域にとって厳しいものだったのかもしれない。でも原発事故があって、一年間と11ヶ月原発なしでやってこれていて、本当に再稼働必要なのかとうこと、あと再稼働しないでエネルギー供給をしていく選択肢はないのか、そのための努力が十分にあったのか疑問に思います。そうやって感じて思ったことを、確かめていきたいと思います。