次第に 少しずつ ぼちぼちと ゆっくりと

Kさん

さいきん、家庭訪問先で、相手と意気投合して、ともに足元を大事にするところから、はじめましょう、と約しあえることが続きました。地道にかよいつづけるなかで、心が通じ合うようになったようです。目の前のひとりと、確かなつながりをつくっていく。それが大事だと、つくづく思います。
日蓮一人はじめは南無妙法蓮華経と唱へしが、二人・三人・百人と次第に唱へつたふるなり、未来も又しかるべし」
「次第に」ってところに、ぐっときます。日蓮だから、あっという間に仏法が弘められたわけではありません。連帯が築けたわけではありません。日蓮も、「次第に」なのです。そこには、プロセスがあります。むしろ、日蓮は、反対され、いじめられたのです。「次第に」がわからないと、日蓮の実像を見失います。

すてきな体験談。
とても大事だと思ったのでメモ。世の中にはKさんみたいなすてきな人がいる。
自分が人にどんどん恵まれてきたのは信仰の後からだと思う
(心から尊敬できる大人であったり友人であったり)。
学会でも学会でなくても。
まず学会ですてきな人にたくさん出会えた。すてきな出会いは心の財宝だと思う。
Kさんとは直接の面識はないけれど、
すてきな出会いに、心を目覚めさせてくれる人との出会いに感謝したいです。


本当は自分がそういう人になっていかないといけないのだろうけれど、足元を大事にして、ぼちぼちと水が流れるように歩いていきたい。


僕は目の前の子どもたちをまず大事にしたい。
その子たちにとって、少しでも心の財になれるように。
まず子どもたちに対してまだ丁寧にやれているとは胸をはって言えない。