コレクション6 真理と裁判形態  

p36で
フーコーは構造分析などしたことはなく、自分は構造主義者ではない明言している。また自分の研究がどんなものなのか完結に要約している。


もともとレヴィストロースの数学を使った構造分析が構造主義のはじまりだとされている。
確かにフーコーは狭い意味での構造主義でもないし、構造分析もしていない。



広く構造の意味を関係だとすると、構造分析をしているとも言えるし、構造主義として見ることも可能だと思う。ただ本人がそうではないと言っているのだから、そうではないのだと思う。



その後は
真理と裁判形態のモデルとして、
オイディプスの話。


一万円もいかないし、コレクションは全部手に入れようと思う。
ただ講義録を全部揃えてる10万円くらいになってしまうので、
これはまず図書館をたよろうと思う。


全集を読み切りたいみたいに思える人は何人かしかいないし、時間的にもきっと読めない。
そう決めた人は丁寧に読もう。


小林秀雄がその作家をまるごと、全集を読め。トルストイの作品を全部読めと何かに書いて伝えていた。そのアドバイスに従ったことがとても財産になっている。



フーコーを読むことが、
汝自身を知れという自己認識に繋がっているとしみじみ思う。


アンティゴネー (岩波文庫)

アンティゴネー (岩波文庫)

オイディプス王 (岩波文庫)

オイディプス王 (岩波文庫)



偉大な人の全集を読むことで広がる読書。