デリダ

根底においては、目の根底では、目の用途は見ることではなく泣くことだということになるだろう。
視覚よりも哀願を主眼にすること、眼差しよりも祈りを、愛を、喜悦を、悲哀を差し差し向けること。神による照明である以前に、啓示とは、「喜びの涙」の契機である。
ジャック・デリダ『盲者の記憶 自画像およびその他の廃墟』

Tさんが紹介していたデリダの言葉。
Tさんは今もデリダを読んでいるのか!


日蓮の言葉を想起させるデリダの言葉。


僕もちょっと前にこの本ではないけれど「見ること」の脱構築のところ読んだ。難しかった。


他の近いテーマのデリダの本をぐぐったら、
カントの『判断力批判』についての読解。
カントの影響力は凄まじい。



深さの問題か。デリダは面白い、確かに痺れる。