研究会 図工

図工はとても作文の授業に似ていると思う。


こういう研究会の話し合いは授業と似ている。
もちろん授業者の方もいろいろ方の意見も大事だけど、
この話し合いでエキスパートと言えるような専門家的な存在が会の成功の鍵になると思う。
かなりエキスパートの人がいて、鋭いことをおっしゃっていたのですが、
その方がいろいな考えの中の一つだと思ってくださいとか、自分だったらこうやりますと前置きして話していたところがすてきだと思った。いわゆるIメッセージ。僕はこういうスタンスの関わり方が好きです。


講師の先生。
ナンシーアトウェルと同じところがあった。
先生が参考作品を作るが大切だと言ってすすめていた。
牧口にないところで、
アトウェルにあるところは、
少し先に生きている大人として、
モデルとなる作品を作ること(これは牧口もやっている)、
その作品を作る過程を見せること
(これに代わりにシェアードライティングが牧口の授業にはある)。


これは少し大変だけど、とても大切なことだと思う。



授業者の先生たち。
掲示物がとてつもなく丁寧でした。
場の設定、材料など、僕も少し途中の検討会に参加できたのですが、マニアックに考えてやっていました。なんと、単元名をどの先生もそれぞれの単元の関わる表現で掲示物を作っていた。最初はこんなに丁寧に自分はやれないとおもったけれど、こういったこだわりがアートをしよう、表現しようという子どもたちの心を形作るのだと思った。あまりに丁寧にこんなにできないと思ってしまうけれど、丁寧なことはいいことに違いない。ただこんなに丁寧にどれもやっていたら、身も心も、もたないかもしれない。


講師の先生と
エキスパートの方の発言。


・見通し。図工でも特に見通しをもたせることは大事。基本的なことだけど、自分は雑です。がんばりたいです。
・図工は時間で、おしゃべりしている授業だから悪いとは言えないけれど、子どもたちが表現に夢中になっている無言の状態はよい授業だと言えるという話。ここで思い出すはアトウェル。アトウェルは読み書きの時間に静かであることを生徒に求める。
・できたら、ほかの課題ではなくて、時間いっぱい表現しなさいと声かけ。大事だと思った。もっと作品がよくならないか磨くこと。作文でも変わらない。
・もってきた材料を全部使うようにと声掛け。なかなか全部は使えないかもしれないけれど、これもいいのかなと思った。全部使うつもりという心がまえでいいのかもしれない。ただそれはその子のイメーじにもやるけど。時間いっぱい考えるように、表現しようというスタンスはまねしたい。



のこぎりのところで、
どのような木材がいいのかとまた話題になっていた。
自分が思っていたことや検討会で出たことの繰り返し。
講師の先生も、ねらいによって、その授業に適した木材が変わると言われていた。
その他の学年の先生の授業に対しても、
その先生のねらいによって授業が変わることを強調されていた。
僕も同じように考えているし、
そういう授業者の意図、思いをよく理解しようという講師の先生のスタンスがすてきだと思った。
その思いを汲み取った上で、対案や提案、改善案を出すべきだと僕は思います。
けっこう厳しいことも言われるが、
そういうところに授業者を尊重する講師の先生の心と誠実を感じました。
講師の先生も、エキスパートの先生と同じように自分ならこうするという表し方で伝えていた。



僕はいろいろな講師の先生、偉い人の関わり方を経験してきたけれど、こういうスタンスの方が好きです。僕もこういう関わり方を人に対してしたいと思う。それは子どもたちに対しても基本的には変わらないかもしれない。



どんだけ経験と知識があるのか知らんけど、
自分の考えや方法を絶対だと勘違いしている人がたまにいる
(いろいろな領域にこういう人がいてたまに見かける。)。
ここでもソクラテス流に言うなら汝自身を知れということ。
自分に対して誤解している人がたまにいる(誤解しているだけだったらいっぱいか。自分も自分のことがわからん)。
そういう人に限って、その自分の暴力性に気づいていない。大切なことだと思う。自戒。