偉い人のまわりは、
その権力に取り入る追従者ばかりなので、
その偉い人は勘違いな人になる危険性が高まるのか。なるほど。
追従者は相手を弱く盲目的にする。
そんな追従者ばかりの中で、勘違いにならない本物も世の中には存在してきた。
哲学や近代科学の懐疑の精神は今でも有効。
たしかラッセルが懐疑のすすめを書いていたことの思いが身に染みます。
僕には追従者がいないので、この方向で勘違いする心配はない笑
でもよく考えたら、
子どもたちには追従者的な側面がどうしてもあるか。
授業が一見うまくできているように見えても、
それは子どもたちがその先生に追従しているだけかもしれない。
この可能性については、何度か考えたことがある。
話題がまた変わってしまうけれど、
日蓮が
時の鎌倉幕府の最高権力者に向かって「わづかの小島のぬしら」と呼んでいたことを思い出す。