考え続けていて、突然思ったことを記録。

エビデンス・ベースドの教育政策に感じていた違和感が分かった。この科学的根拠による結論を絶対として、上から偉そうに振り下ろされるのが、ものすごく嫌なんだと思った。

斎藤正二先生が言われるようにモンテスキューなどの絶対的な教育学の真理なんて存在しないだろうという関係思考に戻ったほうがいいと思う。その上でエビデンス・ベースドの方向性も歓迎したいと思います。

絶対でも何でもなく、一部にしか通用しない手法や結論、考え方を上から偉そうに押しつけられるのが僕は嫌いです。

教育の研究という言われる分野でも、認知科学の基礎研究は読んでいて、人の認知過程に広く当てはまるだろう、普遍的なんだろうな思える論考もあるけれど、そうとも言えない応用研究もある。そういう応用科学の結論を絶対の答えとして振りかざされるのは、すごくイヤだと思う。

杞憂だといいけれど、体験的結論だろうが、科学的結論だろうが、押しつけられたくなくて、科学の限界を理解しないで、押しつけられそうな未来をイメージできて、いやだなあと思いました。

エビデンスベースドの政策って、政策だからイヤな感じがするのかな。科学は科学として、その限界も理解して、積み重ねていけばいいじゃん。政策にして、上からやる必要ないかなと思います。僕もこの教育政策に対して懐疑的な立場ということか。

研究者が真摯に基礎研究されているのだから、現場の人がアクセスし易くすればいいのだと思う。技術的な原理や実践については、現場の人も研究者の人も経験からいろいろ言語化している。その言語化された結論は様々で、限られた状況にしか通用しないものもある。それをどう考えて実行するのか、現場の状況によると思う(矛盾するようだけど、修正していくことを前提として、学習内容を規定している学習指導要領などのスタンダードも大切だと思う)。