類化論 今と昔

ヘルバルトの観念類化理論。
これにどのような意義があるのか。
牧口の時代の人たちの考察のほうが豊かだと思う。
それはその時代の人達が書いたものを読んで今と比べればわかる。


類化理論の正しさは、
類化という言葉は使われないけれど、
認知科学の基礎研究でその認知過程の存在が実験証明されている。
今のほうが実験証明の方法は洗練されているのかもしれない。
しかしその意義については、牧口やヘルバルトの時代の人たちの理解や考察のほうが豊かで深いと思う(今のほうがよく認識できている部分もあるだろうけれど)。
認知科学の本を読んでも、いまいちその重要性についてよく分からないけれど、昔の人の本を読むとその理論がどれだけ重要かその意義がよく分かる。



例えばリンドネルの説明。

「類化作用とは、軟弱なる新観念を、勢 力及内部組織に於て之より勝れたる、即ち強大なる旧観念によりて、変化するの作用なりと。 尚其必要を述べて、類化作用は思想を緊縮する一種の作用にして、因て以て吾人の意識の有 機的形成を遂ぐるものなり。能類化観念は記憶の最良支柱なり。若し此作用なくは、吾人外囲の事実は、飄然として吾人の心中を通過するのみならんと」

類化は、
記憶や理解のための要の中の要です。


自分が学ぶ時にも授業を作る時にも、けっこう強く意識するようになった理論です。
2、3年前くらいからかな。理論は知っていたけれど、その意義がよく分かっていなかった。
ふーん、当たり前じゃんくらいにしか思っていなかった。


今思い出して、すごいな思うのは、あすこまさんのブログ。
あすこまっ! | 国語科教員の日記。作文教育・授業・学校図書館など。
前に学んだことと関連付けながら新しいことを理解したり考察しているのが、ブログを継続的に読んでいるとすごくよくわかります。勉強がよくできる方、頭脳明晰な方は、やはり学び方がいいのだとしみじみ思いました。それに文章が上手すぎる。学び方や作文のいいところをマネして、少しでも近づけるようにがんばりたいです。地の知性がすぐによくならなくても、せめて学び方だけでも学びたいと思う。


ブログをそのように使うと、フィードバックも、もらえていいかもしれない。やはり一つのいい学び方の技術だと思う。完全に学習用のブログ作ろうかな。もう少し文章も他の人が読んでもわかるようにしたい。ぐだぐだぐだるブログと学習用のブログと使い分けようかな。このブログは人に分かってもらおうと思って書いてないから、わかりづらいところがいっぱいだと思う。今考えてみると、書きながら考えるためのブログというか、そんな使い方を僕はしている。


そういえば、子どもたちに一万時間の法則、何かに熟達するには一万時間必要だという話をまた話した。たぶん日本語を読む事は、余裕で一万時間以上読んでいるとおもう。書く時間もこうやって毎日書いていれば、死ぬまでに少なくとも一万時間には達すると思う。毎日10分間だとたぶん300年間くらいかかる笑300歳まで生きるのは、ちっと無理だと思う。死ぬまでに一万時間にも達さない。書くのもきっと伝わる文章を書く努力も必要だと思う。やはり学習用のブログを作ろうかな。