社会 デュルケム

社会なんて妄想に過ぎないのかもしれない。
観察できるのは憲法や法律などの規則です。
そういった言語は観察可能な実在です。社会なんてあるんでしょうか?


そういった規則(または文明、文化)の総体=社会ならば観察できる実在としてあるでしょう。



社会tを個人とは別の人格として認識するデュルケムの捉え方に違和感がある。
でも僕らには結果しか分からないらしい。
その不思議な結果から社会があると想定するらしい。それは妄想となにが違うのでしょうか?



水素と酸素が化合して違う性質の水ができるように個人が結合して、個人とは違う性質の社会があるとデュルケムは言います。


社会は観念の妄想だといったら、
言葉からなる規則も観念の妄想か。
観念も存在として影響するのだから存在すると考えることができるか。



要するに、観念に左右される人がいるということか。


観念に左右されない人はいないか。



影響のある実在として社会を考えてもいいとは短絡的にいえないけど、
水素と酸素が結合するみたいに、社会がある考えることもできなことはないのかもしれない。