無藤隆

保育者の構想と子どもの発想の協働を時間軸と空間軸で可能にする。
 世界の二つの保育プログラムを卓越と呼んだが。とりわけ、レッジョ・エミリアの保育に顕著なこと、そして世界中で今広がってきたこと。
 それは、次のことだ。
 第一、保育者が構想を持ちつつ、子どもの発想を取り上げ、ともに作っていく過程が核とされる。
 第二、子どもの力量形成を姿を通してとらえようとする。
 第三、子どもの活動の豊かさを空間における形の実現としていく。
 第四、活動の振り返りを具体的にそのための活動を用意して可能にする。時間軸の展開として保育の活動を見ていく。
 第五、時間軸の発展としての将来の姿のイメージから今をとらえ返そうとする。
 
 簡単に言えば、それは保育での子どもの活動をメタ的な次元からとらえられるようにする仕組みの発明である。保育者の直感から、具体的な表現としての活動へと転換し、同時に、それを子どもと共有されるツールとして可能にした。


ドキュメンテーションは総じて、ポートフォリオと呼ばれる実践だけど、確かにレッジョ・エミリアは卓越していると思いました。他の園は(日本でも世界でも)、子どもというよりも、どちらかというと教師がポートフォリオの記録をがんばっている感が大きかったです(園児だとそういうものなのかとも思いました)。それに対して、レッジョ・エミリアは、前の展示を振り返っても、子どもたちのアートなど作品が空間を演出して保存されていて、すてきで、ちょっと次元が違う感じでした。プロジェクト活動の内容もおしゃれというかなんと言うかすてきだった。うーん、おしゃれな感じにあこがれる。楽しそうですし。

それがなぜなのか言語化すると無藤先生がまとめられたようになるのかなと思いました。このレッジョエミリアの突き抜けている感じがいい。岩瀬直樹先生の教室リフォームプロジェクトも空間を創っていて、似ているかもしれない。



子どもありきか…。それで保育者も構想をもちつつか。




子どもの力量形成を姿を通して捉えようとしていたのか。でも保育園の先生の日々の記録が大変そうでした。僕がちょっと読んだ本だと、レッジョ・エミリア以外は、子どもたちの姿(や会話)は見えたけれど、子どもたちの作品が見えづらかった。



でも、よくこんな簡潔な的確な言葉で無藤先生はまとめられると思った。
見たことを思い出して、あああって納得できる。


いくつかビジュアル満載のレッジョエミリアの英語の本を買ったけれど、どこに行ったのだろうか。たぶん実家にあるはず。