無藤隆

多様な方法論による折衷的総合的な立場として。
 「因果関係の理解の発達」の研究紹介メモを載せましたが。
 その中に次の研究があります。
「  子どもの自発的な探索的遊びが直感的実験であり、因果関係の発見を助けるのかも知れない。幼児がびっくり箱とそこについている二つのレバーと二つの効果(アヒルが飛び出すか、犬が飛び出すか)が可能である。二つの条件が置かれる。一つは「混同」条件であり、大人と子どもが同時に二つのレバーを押して、二つの効果が起こるので、因果関係が不明瞭である。「混同なし」条件では、大人が一つのレバーを押すと一つの結果が起こり、その後子どもがもう一つのレバーを押すともう一つの結果が起こる。その上で、このおもちゃと別の同種のおもちゃが子どもに渡され、子どもは自由に探索する。もし子どもが新規性に反応するなら新しいおもちゃを探索するだろう。子どもが因果関係に感心があるなら古いおもちゃで遊ぶだろう。混同条件では子どもは古いおもちゃをよく探索した。3ないし4歳の子どもは古いおもちゃの方を組織的に探索した。その上、探索を一通り終えると、その結果を使って、おもちゃがどのように働くのかを当てようとしたのである。」
 基礎的なものも、こういった応用も、今、急速に進みつつありますが。たぶん、上記の研究は、実験的に幼児の探索活動が因果関係を探ることで進むことを示した最初の研究だと思いますが。
 多くの幼児教育関係者は、そういうことを紹介すると、それは知っている、日々子どもはそうしている、と答えると思います。私もそう思います。子どもは知的であり、世界の中の因果的関係を含めて探究している。
 また別なあり得る反応として、それを量的実験的にやってもほんとうのことは分からない。表面的で子どもの姿を歪めていることとだ、本当のところは、例えば、実践者の関わりの中で、ほんとうの実践の場で、子どもの日々の活動の中で、直感的に把握されるのだと批判するかも知れません。私もある程度はそれに賛同します。
 ですが、同時に、他の方法論やとらえ方による証拠の示し方にも意味があると思うわけです。実験的に出来ることがどこまで広がるかは分かりませんが(多くの人の思い込みと違って、乳児の子どもの力や物や人との関係のあり方の詳細は実験研究で示された)、世界の第一線の発達心理学者たちは果敢にそれに挑んでいます。
 要するに、実験研究、縦断研究などの数量的な研究と、実践の場における実践研究と、また質的な方法論を意識した上での実践を解明する質的研究と、あるいは思想史的研究と、すべてを駆使すべきだと私は思うわけです。そうであって、例えば、幼児教育はたいしたことができないとか、幼児の知性は体を動かすことを超えないとか、感情だけを生きているとかといった、一部にであれいまだに根強い思い込みを崩すことができます。

それぞれの研究法に意味があって、
多くの視点から考察できることは大切だと思う。

イアンパーカーは折衷案みたいなものに反対していたけれど、僕は無藤さんよりだと思う。