キャシーハーシュ=パセック

子どもの「遊び」は魔法の授業

子どもの「遊び」は魔法の授業

学習=遊び
日本語訳の問題かもしれないけど、
この表現は論理的にちょっと違うかも。

学習の中に遊びがある。

知育の中にしか徳育がないように。


遊びは学習。
しかし、学習が遊びであるとは限らない。


徳育は知育。
知育が徳育であるとは限らない。

だから知育=徳育ではない。


「学習」や「知育」のほうがより広い概念だと思う。


学習の中に遊びがある。


どんな遊びにも学習的な意味があると思う。一人遊びにも。
見たことや自分が遊んだことを振り返って、そう思う。
というか、心理学的には、遊びには学習の意味があるのだ。


遊びには、どのような意味があるのか、心理学的に明らかにするっていう、すてきな重要な研究をされているキャシー先生。


この研究の結果はリーディング・ワークショップにも、イギリスで成功した小学校の事例にも重なる。チョイス。ファン。内発的動機付け。



四つの原理もそれぞれ強烈に大事なものばかりだと思う。
他にもいろいろな方が主張していることでもあるけれど、それだけ大事なんだと思う。
キャシー先生の主張の目玉はやはり遊びについて。


で、大事なことは、あっちでも、こっちでも、いろいろなところで見る。それだけ大事なんだろうな。



ゲントナーと同じで追いかけたい学者さんがまたできた。



学んだことを仕事に活かしたい。



絶版してしまっているけど、すごくいい本だと思う。