今日は『創価教育学体系』を再読できてよかった。やはり前よりも理解できた。
足下の仕事をしっかりしないと本末転倒だということを思いました。


パーカーストも読んだし、苫野さんの『教育の力』も再読して、いろいろ考えさせられる。

苫野さんはパーカーストと同じような理由からも、個別化やプロジェクト化という方向を推奨していました。牧口先生が指摘するように通性的なところは大切ですし、無視できないけれど、子どもたちの個性というか、興味関心であったり、読むことの領域でいえば、子どもたちの読む力であったり、語彙であったり、その違いもまた無視できない。そんなことも考えます((『創価教育学体系』は、これを無視していいという話ではないんですけどね。牧口先生が言いたいのは、通性的なところのほうが教育では優先であり土台となるということです)。



フーコーの言葉を思い出す。
カントについて書かれていたことの中にある言葉。
「ひとは、外と内との二者択一を脱して、境界に立つべきなのだ。批判とは、まさしく限界についての分析であり、限界についての反省なのだ。」ミシェル・フーコー