パタン トレードオフ

手に入れるとは、失うこと。トレードオフ
常にトレードオフの意識をもつこと。

この考えはイーガンの教育体系には明確にある。それが嬉しい。
ここの意識に乏しい人は、教育業界に多いと思う。



だから、引き算ができないのに、へーきで仕事の足し算をする。



失うことは、手に入れること。


ある中学校教員の嘆き。
毎日、夕方の18時とか19時まで自分の仕事ができない。
土日も部活。いつ教材研究するのだと。


部活の質をある程度失っても、授業を充実させたほうが価値があるのではないか。
放課後遊びみたいに時間を区切って、生徒たちにまかせる時間を増やすとかね。


ある程度、部活がなくなっても仕方ないと思う(やりたい人がやればいい)。土日に中学校の教員を当たり前のように拘束することは、おかしい。一国民として反対する。


部活を自主的に運営できる制度、仕組みがあってもいいと思う。
大学の時の部活で、部活の顧問なんていなくても、写真部は、みんなで力を合せて真摯に写真を追求していました。プリントの美しさなら、僕の大学の写真部だと言われるくらいでした。プロの写真家や写真で仕事する人もこの写真部から出ています。

中学生や高校生でも、それなりにやれると思う。

音楽でもやれると思う。
自分で楽器を買うなり、学校の楽器を借りるなりして、
自分で資料を集めて、自分の足で先生となる人を捜して(身の回りの友だちや先輩は先生の代わりになってくれるかもしれない。近所のおじちゃんがジャズヴォーカルの達人かもしれない。実際、僕の近所のおじちゃんは、アメリカの伝説のジャズヴォーカリストの弟子でした。日本人で一人だけ。)、楽器を練習すればいい。気が合う人とバンドや楽団をやればいい。


子どもたちがやれることは、子どもたちにまかせる。
それで、大人の教員がやるべきことにやっと本当に集中できるようになるのではないか。




僕がもし親になったらと考えると、中高の授業をまずしっかり改善してほしい。


部活にも価値があるって?当然、価値はあるでしょう。
しかし、その価値の背景にどんな犠牲があるのか考えたことがあるのだろうか。二次的、三次的な犠牲について考えたことがあるのだろうか。



「時間と労力と幸福の損失…」p88
「合理的な心理学が確立されるまで…」p89
予言的な本。合理的な心理学は、今で言うと認知科学にあたるかも。
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