「一代聖教とは此の事を説きたるなり此れを八万四千の法蔵とは云うなり是れ皆悉く一人の身中の法門にて有るなり、然れば八万四千の法蔵は我身一人の日記文書なり、此の八万法蔵を我が心中に孕み持ち懐き持ちたり我が身中の心を以て仏と法と浄土とを我が身より外に思い願い求むるを迷いとは云うなり」『三世諸仏総勘文教相廃立』日蓮
ここでも身体を意味する言葉が出てくる。
面白いと思うのは、「八万四千の法蔵」と言われる
ブッダからはじまる仏教、仏説のすべてを日記にたとえていること。
仏教とは、何についての教えなのかというと、自分自身についての教えだと考え読む事ができる。