Tさん

【世間的勝負は枝葉末節】
「夫れ仏法と申すは勝負をさきとし、王法と申すは賞罰を本とせり」という日蓮の一文。
よく誤解されるのですが、「さき」とは、現代語では「まず第一に」みたいに読めますが、古語では、「枝葉」「端」という意味で、反対語は「本」。
勝負・賞罰は、仏法では枝葉、王法(世法)では根本、と言う意味です。

【異体同心って、自立すること】
日蓮が、「異体同心」という言葉を使っている消息は、すべて、門下に厳しい弾圧があり、監視の目がひかり、寄り集まることが出来ず、連絡を取り合うこともままならない時。
また「体」というのは、中世古語においては、分割不可能な実態ということ。
つまり「異体」とは、バラバラに分離している個という意味。
それぞれが、連絡も取れず、バラバラ。各自が自主独自の判断を下しても、それが同じ心であるということ。
大勢が一堂に会して、号令一下、一糸乱れぬ団結というのは、「同体」。
ちなみに、ファシズムの原語、「ファッショ」は、「固く団結する」という意味。


間違った仏法を海外に広げてしまっているかもしれないですね。。。