パタンの記述って大変なので、全部やろうとしたら数十年かかりそう。でもその軽重があって、自分がどうつけているのか言語化するのが難しい。
ファシリテーションのDIVERGENT THINKINGというのがある。これはちょんせいこさんのホワイトボードミーティングだと発散という会議の段階だ。この発散というのは大事で、発散し尽くすことで、多数決とは違うよりよい解に落ち着いていく。その解は一つであるとは限らない。こういうことは、ファシリテーションでも、特別活動で学級会を研究している人たちにも当たり前のことなのかもしれない。
そもそもこのファシリテーションのDIVERGENT THINKINGというのはよりよい会議のために生まれた概念だけど、会議以外の様々な教科で使える重要なパタンだと自分は認識しています。例えば、国語で何か物語を集団で、グループで読もうという場面。そこでの学習活動はブッククラブかもしれないし、音読劇の準備段階かもしれない。ここで大事なのは、書いてることから考えられることを言葉の細部にこだわって、発散し尽くすことだ。中には取る足らない思えるような考えもあるかもしれない。それでも発散し尽くして行くと、考えと考えが統合されて、その集団や個人の解(読み)へと落ち着いていく。これは少し考えてできる読みではない。発散し尽くすからこそたどり着ける解(読み)。
僕はこのDIVERGENT THINKINGを「発散し尽くす」というパタン名として呼んでいて、かなり意識しています。
①このパタンみたいに会議、学級会だけはなく、様々な状況で重ねられるパタンである
②その時の経験の質を決定的に左右するパタンである。
こういう条件を満たすパタンから少しずつ記述していきたい。記述すると自分がもっと意識して確かにパタンを重ねられるようになるから。
振り返ってみて
教育経験の質を決定的に左右するようなデザインパタンってやはりあるよなということを改めて強く感じる。