学習科学のデザイン研究は、〇〇教育のパッケージを考えて現場に投入に10年間とか追っていく知識を生み出していく。そのようなプロセスがあって科学的知識として承認され信頼されていく。とても意味のあることだと思います。
しかし、自分は、思いついたことを自分でやってみたい、その日のうちに、もしくは自分がみている期間の間にフィードバックを得たい人なんだと思う。自分が目の前の直接関わっている子たちの助けになりたいと思うし、そのことが楽しいし、嬉しいんですね(全部はわからなくてもやったことの効果の一部は、子どもたちのテストやらパフォーマンスなどを観察すればわかります。研究の方って、視野が広いんだな。一つの教育パッケージが効果的だとしてそれが大きな広がりを持った時の価値の大きさは絶大だろう。そして研究者の方たちは我慢強く気長。僕は短気だなw)。能力的にもそうだと思うし、そういう気質というか、自分の欲望的にもデザイン研究がとても向いていないのだと思う。もうやりたくてもできないけどね。やりたいと一生思わないだろう。
教育技術を生み出すのは、現場の人だ。現場の人が教育経験と知識などを統合してアブダクションで生み出す。量的研究、ランダム比較試験のような量的な方法は、それらの効果を捉える一つの手段でしかない。それはそれでとても大切な知識ですが、ハッティなどが研究する個々のテーマがどこから出てくるのか、その材料を提供するのは、その材料となる技術を生み出すのは現場の教育実践者の人たちです。