早起きを機会に一気に読了。素晴らしい作品でした、いまの自分にぴったりで。いまの自分と作品との関係だけにしかない意味がある。はじめて読んだ時の新鮮さ。
 
今、自分が児童書を読むのと、子どもたちが読むのでは同じ本を読んでも、意味が違ってくる。当然、子どもたち一人一人の読みも、同じ作品を読んでいたとしても違ってくる。
 
次のブッククラブ(読書会)が子どもたちにとってかけがえのない経験になりますように。
 
https://www.amazon.co.jp/日の名残り-ハヤカワepi文庫-カズオ-イシグロ/dp/4151200037/ref=sr_1_1?__mk_ja_JP=カタカナ&keywords=日の名残り&qid=1572989583&s=books&sr=1-1

ノンアル271日。

金土日と飲んでしまった。こうやって、飲んで疲れてあまり休みにならないということを、かなり週末に繰り返してしまっている。これだったら、飲まないでネットフリックスで映画を見たり、ゲームしたりしている方が全然いい(疲れがとれるから)。運動ができれば、もっといいのだろう。

 

これから仕事の質をよくしていくためには、パタンを重ねつつも、細部の知識と、細かく子どもたちの経験をデザインしていくこと、作っていくことが欠かせない。飲んでいる場合ではないのだ。

 

いかに学校や教室によい循環を作っていくか、後手に回れば苦しくなる。低レベルな自分の仕事をよくしていかないと。

 

日の名残り』はすごくよかった。カズオイシグロ、ありがとう。

カルラ・リナルディは、レッジョエミリア の教育へのデューイ教育学からの影響を明言しています。その経験には、後の経験にどのような意味があるのか。経験の質を高めていくためのパタンであり実践。それは経済の道でもある。

 

エビデンスは作られた知識でそれ以上の意味はない。だから、教育は、エビデンスを参考にしつつも、子どもたちにとってどのような意味があるのか考えることがより土台にあるように思う。
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「経験と教育」を読む。

「何よりも重要なことは、もたれる経験の「質」にかかっているのである。」

経験の二つの側面。
①快適と不快の側面
②経験がその後の経験にどのような影響を及ぼすかという側面

「教育者の基本的責任は、年少者たちが周囲の条件によって、彼らの現実の経験が形成されるという一般的な原理を知るだけでなく、さらにどのような環境が成長に導くような経験をするうえで役立つかについて、具体的に認識することである。何よりも先ず、教育者は、価値ある経験の形成に寄与するにちがいないすべてものが引き出せるようにと存在している環境−自然的な、社会的な−をどのように利用すべきであるか、そのことを知らなければならない」57項
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自分の10年前くらいの日記のメモから。